読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

年末最後の小仕事

今年も残り少なくなってきました。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

僕は人とちがって自分は特別だと考えるあてを数字、賞歴、世評の客観的指標に見い出せないので、まともでない狂言の自己演出に頼ることで、どうにか生きてきた。街に出る女性が化粧ブラシのひと掃きを求めるように、おだやかな世界を保つには人工の不自然が必要なのだ。みうらじゅん氏は「仕事をしているうえで、いちばん心がけていることといえば、無理してでも『不自然体』でいること、『レッツゴー不自然』です」と言う(『「ない仕事」のつくり方』)。なるほど不自然も極めれば商売となるが、僕の不自然は、単なる生命維持装置。

流行歌は「アリノママデ」としつこく子どもに言い聞かせ、ベストセラーは嫌われても自分を貫く生き方が幸せだと説いた。が、僕は自分がナマの素材で勝負になると思うほど自惚れちゃいない。冷静にみて、僕の人間的魅力は乏しい。卑下がカンに障るなら、豊かでないと言い換えよう。僕が就活しなかったのは、「自分を雇うような会社には(見る目がないから)入りたくない」という、『アニー・ホール』冒頭でウディ・アレンが繰り出すジョー*1を地でいく発想からだった。まったく笑えないのである。全身からいちごみるくの自己愛を発散している人を見るたび「あれよかマシだ」とマスク下で笑うが、自己嫌悪の腐敗臭にまみれた僕も、自分に執着しているという意味では同じコインのうらおもて、

愚かな凡夫どもは、真実には存在しないわれ(自己)について<われ(自己)>であると妄想分別して、苦、楽、通達の智慧を考えている。
龍樹(中村元訳)『大乗についての二十詩句篇』

俗物だけが俗物を笑うのだ。

・・・

今年中にやっつける仕事がある。ディズニーランドのレポートだ。大長編の予感にペンは重い。しかし要点は、つまらなかった、のひとことに尽きる。

「好きな人と一緒ならどこへ行っても楽しいはず」と言う人は(こういう奴はたいてい紺色のニューバランスのスニーカーでペアルックしている)、その好きな人と絞首台にでも上がるがよい。死後「きみの頚椎の砕ける音かわいかったよ」「あなたこそ太い音で格好よかったわ。あたしゾクゾクしちゃった」とささやくなら大したもの、線香立てがパスタマシンの出口に見えるほど大量のお香を毎日束にして供えてやる。

本来は120色入り色えんぴつの多彩な語彙で、ディズニーランドに悪罵のかぎりを投げつけるところ、ある事情が手かせ足かせ猿ぐつわとなって、よだれと唸り声しか出せない。というのも「フリーターの分際で7,400円は厳しかろう」と考えた社会人の彼女に、入場料を全額出してもらったのだ。金にまつわる男女の常識を逆なでするような提案に異議も唱えず、また唱えられずに沈黙の微笑でもって「いいのかい?」と応じるダメ男っぷり。ここで偉そうにふんぞり返れば、ヒモの鑑ともなるだろうが、おごりで入ったディズニーランドに文句を垂れて涼しい顔をしていられるほど、股の木の実は硬く生っちゃいない。

・・・

世の中にディズニーグッズが蔓延するのは、ねずみの金策とにんげんの無知のせいだとばかり思っていたが、買い手にまわって初めて理屈がわかった。それは家族、恋人同士が「楽しかった私たちの思い出」を示し合わせるための符丁なのだ。キャラクターのプリントは、どれも寸分たがわぬ正確さで大量複製された記号に過ぎぬが、示す意味内容のほうはきわめてユニークだ。時間を共有した当人たちだけがわかる秘密のニュアンスを含むからである。思い出の関連付けが済んだあとでは、どんなディズニーキャラをみても、特殊な意味を持つことばに見えてしまう。これが一生とけぬ魔法とやら、か。

 

*1:「僕みたいな奴がメンバーにいるクラブには入りたくない。」( "I would never wanna belong to any club that would have someone like me for a member." )

広告を非表示にする