あとは庭に油田なし

バイトに忙殺されてブログを書く時間がありません。

眉をハの字にし、口をヘの字に曲げて、腰をイの字に折りたたみ、これはマズイぞという顔で自分の忙しさを嘆く仕事のできないサラリーマンに似る。「時間がないを言い訳にしない」とは、世の成功哲学書の冒頭を飾る常套句ではなかったか。僕は成功より失敗、勤勉よりは怠惰、勝つより負けるが主義のグータラ哲学を発展させようともくろむフィロソフィアなので、時間、体調、気分の三要素を、自分がやるべきことをやらない理由として積極的に登用していこうと思う。現に僕はこの文章を布団にくるまって書いている。消しゴムのかすがシーツに落ち放題になっているが、そんなこと構いやしない。床を離れるのも、ゴミをゴミ箱に捨てるのも面倒だからである。ホコリひとつ、陰毛の一本も見逃さぬ潔癖から、生活の色気は生まれてこない。開高健も、吉行淳之介との対談でこんなことを言っている。

以前、フランスの色事師が日本にしばらく住んで、私の家へ遊びに来たことがある。彼、日本人の恋人ができたというから、肌がいいだろうと聞くと、ああいい、素晴らしいと褒める。でも、もの足りないと言うんだ。……いつも風呂に入っていて、健康の匂い、オドゥール・ド・ラ・サンテというんですけど、これがあるのはいいんだって。でも、体臭がないのでもの足りない、食い足りないとおっしゃる。――『街に顔があった頃』

活動全般にわたって逃げ腰の僕が、はったりでも野獣の体臭を身につけるには、風呂に入らず不潔をきわめるしかないのである。最後にシャンプーを使った日をほんとうに思い出せない。この文面は臭うだろうか? 油でじくじくと黒光りした髪の分け目からただよう、敷きたてのアスファルトのにおいが?

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プロフィールに「職なし金なし女なし」と書いてから、バイトとはいえ数年ぶりに働き始め、彼女もできた。ディズニーランドに行く予定まである。これまで資本主義の権化、人より稼ぐネズミ、テカテカした「夢」の疑似餌をぶら下げて、鼻の効かぬバカをとらえる巨大ニンゲン捕り器と呼んで忌み嫌っていたあのディズニーランドである。そんなところに2人でのこのこ出掛けていくなんざ、この世でもっとも陳腐なカップルの行動様式、もっとも画一的な「幸せ」の画面構成ではないか。お約束の筋書きに飽き飽きしながらも、ト書きどおりに演技し、書かれたセリフをそのまま喋らねばならぬ昼ドラの役者のように、むなしさを自覚しながら、その手と表情で腹を裏切り続けなくてはならないのだ。それがツラいと言っても、専門学校あがりの女には理解できないだろうし、そんな抽象、客観、ディレッタンティズムに囚われないで、太い両脚をずぶずぶと俗世間に突っ込み、縦横に駆ける姿こそが女の魅力であるし、僕が惹かれるところでもある。わっ、ノロケ話が始まりそうだぞ。再び開高健アフォリズムから、わかったようなわからないような一節で、

男は具体に執して抽象をめざそうとしているが女は抽象に執しながら具体に惑溺していこうとする。――『夏の闇』

 

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