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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

幻聴

 

書くことについて書くとき、ひとは「今日なにも書くことがない」と告白している。自分の理解の範囲で自分の行動を説明することはいつだって可能なのだ。もちろんその理解の深さは語る人の経歴、生活態度、性交体験によって異なる。「せ、性交ってつまりセックスのことだろ。セックスってことは、つまりあれがあの中に」とパニック状態の中学生諸君、キミたちには次の記事を読んでほしい。開高健芥川賞選考員に選ばれたときのインタビューである (昭和53年 毎日新聞)。

評価の基準は、一言半句の鮮烈があればそれでいいということ。なぜかというと、その鮮烈は無意識でなければ出てこない。大事なのはこれですよ。鉱脈、地下埋葬資源というか、隠匿物資、含み資産というか、それを露頭部分から嗅ぎつけるのが審査の役目なんだな。あとは、旅、酒、女、何でもいい。本人自身が人生の訓練をしてよくなっていく。

「旅、酒、女」から女をとって性交と言ったのだ。ほんとうは女性経験と書きたかったが「それではいけません男女差別です」と薄ピンクのパンツスーツを着た、古くさい髪型のおばさんが、鼻の横にあるレーズン大のほくろをブルブル振るわせて、警笛をピッピ勇ましく吹き鳴らす姿がすぐそこに見えるので、ポリティカリー・コレクトな表現に改める。クソババアはババア、ババアはおばさん、おばさんはお姉さんと言い換える。それでいいかしら、ババアの皆さまがた。

最近、幻聴に悩まされている。

「お前は無能だ、クズだ。人生の惨敗者だ。さっさと死んでしまえ、この、このあれだ、あーでてこない。このもの忘れもお前のせいだからな。お前が鈍い頭をもって生まれたから、その育成を怠ったから、幻聴のほうでもいまいち冴えない感じになっているんだからな」

こんな声は、今じゃ慣れっこになって新鮮味がない。マンネリ気味の2人の関係に交際当初の熱気を取り戻したいと思っていた矢先、第3の声がした。

「ひまだったら、もっと更新したらどうかね。定職もなく、バイトもせず、毎日ふらふらしているだけのキミが、どうして日中まともに働いている社会人ブロガーに、更新頻度で遅れをとるんだ。納得のいく説明をしてもらいたいね。『記事のクオリティが』とか『一個の作品として』なんていっぱしのアーティスト気取りの言い訳はよしてくれよ。聞けば耳が焼けるほど恥ずかしいし、人として本物ならそんな言い訳しないはずさ。」

えー、でも仕事は忙しい奴に任せろって言うじゃないですかー。そうすると早く済むっていう。時間に余裕があると、むしろ生産性って下がっちゃうんですよね。それにこのブログは、業務上どうしても必要なペーパーワークでもなければ、期限つきの重大案件でもない。おのずと作業は遅れますわな。

「なにが遅れますわな、だ。社会人経験もないくせに、サラリーマンみたいなことを言いやがって。俺はな、お前がふくらませた期待から生まれた声なんだ。いつもの子どもじみた妄想さ、動物たちが歌って踊る夢の国さ。人が自分のことを気にかけてくれる、優しい目で見てくれる、なんならスゴイ奴だと褒めてくれる。無表情のマネキンを部屋に並べて、その動かぬ口からありもしない期待を語らせて、自分でその期待に応えようとしているのさ。ホント笑っちゃうよ。被害妄想にとらわれた人が集団ストーカーの被害に悩むのと同様に、お前は集団から支持が得られる、得られるはずだし、得られて当然だと思い、自賛の妄想にひたって快感をむさぼっているのさ。たしかに偉大な冒険家は、地の果てに未知の大陸があると信じて、命を投げうち、船首を地平線に向けたかもわからん。彼らも妄想に駆られていたが、その狂気には行動が伴っていた。同じバカでも行動するほうがより偉い。考えるだけの人間より、なにも考えずに動ける奴のほうが、実社会に実力をおよぼす意義から、より偉大なのだ。」

ちょっと待って。ひと呼吸おかせてください。僕は会話文でも、どこまでがその人の発言なのか分からない長いものが苦手なんです。先にカギカッコの閉じるを見つけてからじゃないと、読み進めるのが不安になります。

「お前の本の読み方なんか知るか。相手が自分の思い通りになると信じているところが、いかにも防虫、除草済みの温室で育った弱々しい白ナスなんだよ。それにお前は兄弟のいないひとつの実だ。本来なら分配されるはずの水も、肥料も、全部ひとり占めしてきた。比べられることがなかった。だから自分の奇形に、病気に、腐敗に気付かないんだよ。お前は腐っている。皮も、果実も、熟れごろをとっくに過ぎて、ぐずぐずに傷んでいる。それなのに自分がまだ高値で売れると思っている。いいか、教えといてやる。お前がいくのは高級スーパーの野菜売り場じゃなくて、ゴミ箱だ。家畜の飼料にもなれず、ただ廃棄処分されるのさ。」

聞きたくない。もうなにも聞こえないよ。

「耳をふさいでも聞こえるから幻聴なんだよ。これだからバカを主人に持つと困る。宿主をあっさり死に至らしめる細菌を、人間はみな怖がって大騒ぎするけれど、ウイルスの世界では、仕事のできないクズと呼ぶ。ドジな借金取りが「返さねえと殺すぞ」と脅迫まがいの取り立てを続けて、思い詰めた債務者をほんとうに死なせてしまうようなものだ。一番良いのは、高い利子をずっと払い続けてくれる関係さ。だから俺も、君に死なれちゃ困る。むしろ、生きて欲しい。生き抜いてもらいたい。そこで激励のことばを用意した。君の記憶をあさって拾ったのだ。ひとつは立川談春『赤めだか』から立川談志の発言、

お前に嫉妬とは何かを教えてやる。
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方がない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ、そこにはきっと、何故そうなったのかという原因があるんだ。現状を認識して、把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。

「現実は正解」とは残酷な真実だ。君にとって君をとりまく状況は「こんなはずじゃない!」と言いたくなる不正解だらけの世界だろうが、社会の力学からみると、君は落ちこぼれ人間としてきわめて正確な弾道を描きながら人生を進んでいる。君はあるべくして現状にあるのだ。ここから抜け出すには、君がこの世で占いより、魔法より、メンタリズムより怪しいと思っている、「努力」のふた文字をもっと真剣に捉える必要がある。たとえば幸田露伴『努力の堆積』の一文、

吾人はややもすると努力せずしてある事を成さんとするが如き考えを持つが、それは間違いきった話で、努力より他に吾人の未来を善くするものはなく、努力より他に吾人の過去を美しくしたものはない。努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各人自己の発展である。努力は即ち生の意義である。

夕陽の落ちかけた午後4時の寂しさをずっと君が人生に感じているのは、生の意義であるところの努力の充実を欠いているからだ。なにか生命を賭けて打ち込んだものが君にあるか?」

ありません。だって努力は馬鹿のすることだから。なにをやっても人に遅れをとる要領の悪い奴が自分をなぐさめるために使うことばです。徒競走で周回遅れの肥満児が最後に浴びる、お情けの拍手と一緒であります。

「そんな考えだから君は突き抜けない。平凡だ。退屈な中庸だ。派手な服でひとかどの人物を気取っても、生身はコンクリートのようにどこまでも均一なグレーで面白みがないのさ。人として冷たいんだ。感情に訴えるものがないんだ。事件の見物人にはなっても、自分が事件にはなれないんだ。『俺みたいな者は、何時何処の世に生れても、結局は、調節者、忠告者、観測者にとどまるのだらうか。決して行動者には成れないのだらうか?』(中島敦『悟浄歎異』)と愚かな自問を繰り返すだけさ。自分が人生の主人公であるための資格を探し続けて死んでいくのさ。自分の顔を自分の目で直視できぬように、行動者であるための適格性もまた、自力で見つけることはできない。なぜならすでに君は行動者だからだ。君は君自身ですでに、君の望むものの条件を満たしているのに、それになぜ気付かない?」

努力とか行動とか自分らしさとか、夢が叶うとか、金持ちになれるとか、甘言を聞かせて人心を誘惑し、金品を巻き上げて生活する連中に、人を啓発する力なんてない。働いているのはことばさ。ことばなんて口を備えた人間なら誰でも扱える。問題はその人がほんとうに自分の吐いたことばに適うほど立派な人物かどうかさ。小人がかき集めた浅い処世訓に「人生が変わる」なんてありきたりのコピーをくっつけた子供だましのおもちゃで、俺の人生が変えられちゃたまらない。

「人がここまでしてやったのに、改心しないんだ。このわからず屋め。ほんとに君は救いがたいよ。」

いいさ、所詮お前も俺だ。自分で自分のことがわかっている人間なんて、この世にひとりもいやしないのさ。

 

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