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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

Fantômeの思い出

僕もファンとして思いを寄せたい。

音楽理論に裏打ちされた批評、同じ自死遺族だからこそ覚える共感。そんな深い話ではない。ごくごく表層の、買いたての家電製品にまとわりついたビニールのような、すぐに剥がして捨てるべき薄っぺらい思いである。しかし一滴のインクも大海と同じ青を放つように、僕のちっぽけな思いにも暗い悲しみの色がある。

 

CDが割れたのだ。

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プレイヤーがずっと「Now Loading…」でヘンだと思って取り出してみたらこれだ。部屋の整理中「パキッ」と音がしたが、どうせいつもの怨霊か地縛霊か、前世の悪業で背中にとり憑いた百鬼の背後霊のしわざだと思っていた。なんのことはない。怪音の正体は、自分で踏んだCDの割れる音だったのである。 

なるほど、形あるものはかならず滅びる。「永久不滅」の巨人軍は100年後の存続も危うい。紀元前から建つ石塔石碑は、人類史の無限を宣言し、その輝かしい業績を千年後の未来にむけて投射するが、万年の風雨には耐えきれず、ついにはコインパーキングの砂利に同じ。インドの山奥にある寺院の鐘は、うてば高遠な音を出すだろうが、自分で踏みつけたCDの割れる「パキッ」という軽い音ほど、諸行無常の響きをもって迫るものはない。

あまりモノが壊れたと騒ぐと、新製品をハンマーで叩き割ったり、ミキサーにかけたりして遊ぶイカれた米国人と同類になるので控えるが、誰かに言わないと気持ちが収まらないのだ。「いや聞いてよ。こないださー、部屋の掃除してたらさー」と気安く話せる友人はいないし、数少ない知り合いも「お前な、宇多田なんてナヨナヨした音楽ばっかり聞いてちゃダメだよ」と頭ごなしに否定するdopeなヒップホップファンだから、僕がCDを割ったと聞くと、ぶ厚い上唇をずるずると引き上げて、だ液にまみれた総金歯をピカリ光らせながら、声も出さずニンマリと笑うだろう。もちろんこれは勝手なイメージの話である。

まだPCに取り込んでいないCDが割れる。子を望まぬ男女間で子宝は多く発見され、周囲からくたばれと思われている奴ほど墓に入るまで時間がかかる。命の配分は悪魔の仕事なのだ。いったい天使はどこにいるのか? スピリチュアル好きの独身アラフォーOL、アイドルオタクの中年童貞のみがその答えを知る。

CDを奪われたいま、曲を聞く方法は、ふらっと入る店の有線か、移動中のラジオだけだ。偶然耳にする楽曲がどれほど懐かしく、愛おしいか。枯れた商店街でひっそり営業を続けるCDショップのおばちゃん、その赤いエプロン、あたたかい接客、おそろしく還元率の低いスタンプカード。読書のときも、食事のときも、すこやかなるときも病めるときも、共に過ごした代えがたい幸福のとき。まるで破局を迎えるカップルが最後に苦楽の思い出を幻視するように、CDとの出会いから別れまでの一瞬一瞬が甘くせつなく回想される(もちろんそんな恋愛はしたことないから、この比喩はでっち上げだ。でも、そんな風に言っておけばいいんだろ? その恋愛というくだらないままごとのルールに従えばさ。とにかく俺は映画でもなんでも、恋愛のれの字が匂おうもんならすぐに早送りしちゃうね。リモコンがない映画館なら目をつむるか、非常口誘導灯でも眺めて、むだな映像を見ないようにする。なんたって、つまんないから。つまんないものに付き合って我慢していられるほど、俺は大人じゃないから)。

買いなおす気はない。金がないだけじゃない。ひと月の思い出として残すほうが、長年にわたりダラダラと繰り返して聞くよりも、記憶として高級な気がする。針で突いてできた指の血まめが、皮膚になじまず、いつまでも肉のなかに真っ赤な球を浮かせるように、思い出もまた深く鋭いほうが美しい。

そう思わないとやってらんねーよ!

 

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