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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

近況報告 HBから2B編

暮らし

 

報告すべきことは山とある。その中でもっとも優先度の高いものは、シャーペンの芯をHBから2Bに変えたという我が人生中の大事変である。

ブログの下書きをルーズリーフに手書きすることは前にも述べた。長時間モニタを見ると、目と頭、男の身体のなかでもうひとつ「頭」がつく部分が痛くなる特殊体質のせいだ。それに皆がキーボードで文字を打つなか、アナクロのアナログで挑めば、マジカルなアッピールに繋がるんじゃないかしら、と女ぎつねの下心がはたらく。

文字は書くものであって、打つものじゃないと思う。「でもノミを打って石版に彫られた古代の象形文字は? あれも打ち込まれた文字ですよね?」と言うキミ、同じ「打つ」でもキーボードとノミでは労力が違うではないか。労力が違えば、魂の入り方が違うじゃないか。ワープロ登場以前の古い本を開くと、文面から、原稿用紙のマス目をちびちび埋めていった人間の手ざわりを感じるだろうが。地味な田植えの作業が、秋、山間に拓かれた田んぼ一面に奇跡のような黄金の実りを結ぶだろうが。

ローマ字入力は日本語を音素に分解する。しかし、げろは「げろ」であって、"ge ro"ではない。「げ」も「ろ」も、それぞれに固有の線分と、それを書き込む時間、紙をひっかく音とリズムを持っている。にもかかわらず、どの文字も同じタッチ、同じ力、同じ電気信号で引き出そうとするのは、文字を愛する趣味、使う情趣をバッサリ切り捨てるに等しい。文章力は記号を操る能力、文才はその配置にはたらく美意識のことを言う。ならば、その美意識が、ひらがな一文字の感覚もおぼつかない人間にどうやって宿るのか。あの曲線とぬの曲線のちがいを知らぬ奴にきれいなあぬすは見せられない。

「理屈ばっかりこねてイヤねえ」と言う貴婦人。ジャズピアニストのセロニアス・モンクを知っていますか。彼は彼のリズムを奏でるために、両手小指に大きな指輪をしたままピアノを弾きました。デジタル時代にあえて手書きの不便をこうむる理由も、ペンを持つ手のたどたどしさ、もどかしさ、いたらなさを自分の魅力へと転化するための苦肉の策だとお考えください。勿論おっしゃる通り、大巧に巧術なし。たしかな手腕をもつ者はつまらない術策に頼らないものです。

2Bの芯に入れ替えて文章を書き出したとたん「この濃さ、この柔らかさだよ! おれが求めていたのは」と心はずんだ。しかし、よくみると、それはペン先に残っていたHB芯が描く、いつもどおりの線だったのである。同じ線を見比べて「やっぱり2Bは違う」と錯覚していたのだ。これがロシアンルーレットだったら、装填された弾丸の存在を忘れて「大丈夫、見てろよ」と笑いながら自分の頭を撃ち抜いて死んだ、村でも7代にわたって語り継がれる伝説のバカになるところであった。

 

(後半へ続きます)

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