おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

タイトルが思いつきません

 

止まったままの物体は止まり続け、動く物体は動き続けるという慣性の法則は、人間の精神的な活動にも同じように当てはまるようである。

ピカソは生涯に6万点以上の作品を残し、中年になっても10代の少女と交際した。「私たちがピカソから学びたいのは、精力は回転させながら出していくものだという発想です。精力は使えばなくなるものではなく、流れそのものであって、回転し出せば、かえってどんどん出てくるという性質のものだということです」齋藤孝『天才の読み方』。ほう、そうかい。精力無尽蔵説を唱えるならよ、サイトーさん、あなたが今すぐ全長5000kmのサハラ砂漠横断ウルトラマラソンを走りぬいてくれないか。さあさあ、ほらスタートだ。

手を打って囃したいところ、あいにく家に小学校の卒業証書があるため、これ以上の揚げ足取りはできない決まりになっている。しかしこの精力を流れとみる生命観は、横に伸びたライフゲージ(ロックマンなら縦)に親しい僕ら、とくに日頃から体力を温存しがちな亀タイプのひきこもり人間には嬉しい反常識である。手足を畳んで休ませておくより、動いたほうがむしろ元気になるというのだから、休むは損だ。動けば動くだけ得をする。貧乏暇なしは、貧乏人が夜を日に継いであくせく働かねば糊口もしのげない窮状を陰から笑ったことわざではなく、貧乏人だからこそ日々得をするべく動き回るそのバイタリティを褒めたことばである。

精力はコップのなかの水ではない。コップの底を抜いて横に倒すと筒ができる。その筒を流れる流れが精力である。つまり精気をストックではなくフローで考える。僕はマンション1階のエレベーターで住人と相乗りしそうになったときに、あいさつの手間と密室の気まずさを嫌って、6階の家まで階段で上がる。従来は階段を登りながらエレベーターパネルの表示階を確認し「あのジジイ、2階で降りたぞ。2階なら階段でいけってんだ。それがてめえの健康にも繋がるだろうによ!」と毒づいていたが、今では「体力は流れ、元気はフローである。使えば使うほど強くなる。そう、酔拳ジャッキー・チェンのように」と心の邪気を払い、敬老の精神を取り戻した。そしてこの敬老精神は、転倒して指の骨を折った祖母の病院送迎、診察の付き添いまで厭わず僕に全うさせる力となり、別れ際「おばあさんはこんなものいくら持っていても仕方ないんだよ。あの世までは持っていけないからね」と手渡されたぽち袋とその中身金3万円に結実する。

巷には『読書をお金に換える技術』を教える本もあるようだが、僕はそのスキルがないせいで、読書歴10年にして初めて読書が金になる瞬間に立ち会えた。その反面、金を本に換える能力はズバ抜けているので、この3万円もちょっと目を離したすきに『ムー認定 世界の超人・怪人・奇人』(並木伸一郎)、『抱腹絶倒! プロ野球を10倍楽しく見る方法』(江本孟紀)、『築地魚がし60年・伊藤勝太郎 口伝 魚の目きき』(伊藤勝太郎)といった、くだらない中古本にすがたを変えてしまうだろう。

1円も稼いでくれそうにない本を好んで読むのは、そこから金よりも貴い価値が得られるからである。そんな聞こえのよい読書論を今にも語り出しそうだが、ほんとうにくだらない本はほんとうに得るものがない。これは読書好きなら誰もが知ることである。唯一の楽しみは「あーあ、ほかに読むべき本があるのに、なんで俺はこんなのを読んじゃうんだろうな。イヤになっちゃうな」とぶつくさ文句を言いながらページを繰ることだけだ。脳髄の地下水脈に教養の大河を引き入れるとか、村落レベルの見識を都市へ、都市を国家に、国家から星々にまで拡げるとか、そういう読書の教育成果などはなから期待していない。ただ好き者の自分に酔い、やさぐれに甘えるためだけに読むのである。

誰かのために、何かのために読んでいてはたまらない。レポート提出に間に合わせるべく急いで目を通す参考文献のつまらないことつまらないこと両眼のうえでハエの夫婦が休んでも気付くことはないが、課題をサボって手を出すマンガのおもしろいことおもしろいこと下半身が炭と化してほろほろ崩れ落ちるまで自宅の火事にも気付けやしない。しょーもない本は、やるべき課題のないときにサボりの妙味をひとりでに与えてくれる。そしてこの場合、下手に役立つものほど始末が悪い。だから当ブログも、サボリモノとナマケモノの読みものであることをみずから認めさえすれば、内容がいつまでも無用の長物の域を出ないことを、書き手の僕が恥じ入る必要もなくなるわけである。それが確認できたので今日のところは終わります。

 

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