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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

キンドルやめるの忘れてた!

 

KindleUnlimited登録解除し忘れて、ちゃっかり1ヵ月ぶんの課金である。電子書籍を読むスキルも習慣もないくせに、タダだと聞いてお試しキャンペーンに飛びついたばっかりにムダ金をはたくことになる。ここで文句を言っても仕方ないので、僕が入会後たった一度だけ心の底から「登録してよかった」と思ったときの話をする。

光文社古典新訳文庫が読めるのは好ましい。お前は成功してねえだろとツッコミたくなるような素人文筆家による『成功者になる方法』全92ページで、人生に太陽をとり戻すことも喜ばしい。ただそれ以上に『蛭子能収コレクション』シリーズ全7巻と出会えたことが嬉しい(※現在Unlimitedで読めるのは7巻中2巻だけになってます)

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テレビタレントの蛭子さんを先に知ったので、「漫画では売れなかったが、テレビで成功した人」という人物像がある。そんな奴のつまらないだろう漫画をわざわざ金を出して読まない。Kindleで発見し、どうせタダだからと思って手を出したらブッたまげた。蛭子さんってアーティストだったんじゃん。テレビではクズ呼ばわりされて、番組のオモチャになっているけど、実際の人間性はどうあれ、やわらかな表情のしたには触れる指を切らすほど鋭い感性をもった芸術家の素顔があると思う。(ちなみに笑顔のひみつは本人が著書『ひとりぼっちを笑うな』のなかで明らかにしている。「相手が正直な気持ちを言いやすいように、自分のほうから持っていくことを普段から心がけています。……そこで効果的なのは、"笑顔を絶やさない"こと。とりあえず、理由もなくニコニコ笑っていれば、みんないろんなことを言いやすくなるじゃないですか」。笑顔は世渡りのすべなのだ。昨年、新大阪駅改札口で蛭子さんを目撃したとき、真顔の通行人に混じって彼だけが終始ニタニタ笑っていたので周囲から浮いて見えた。笑いすぎで、むしろ近寄りがたい雰囲気があったことは記しておく。)

たとえば、ベッドで情夫とイチャつく不倫中の主婦が男にむかって「なんだか夫に見られている気がするわ」と言う。そんなバカな、あの男は出張中のはずと取り合わなかった情夫のほうも、女があまりにしつこいので念のために部屋を探し回る。ベッドわきのクローゼットがあやしいと睨んで戸を開くと、スーツ姿の夫が目を大きく開いたままハンガーラックに引っ掛かって死んでいた。2人は青ざめるでもなく、恐怖におののいて絶叫するでもなく、顔を見合わしてプッと吹き出し「ワハハハ」「ワハハハハ」と大爆笑、次のコマでも「ワハハハハ」、次の次のコマでも2人は腹をかかえて笑い続け、そのまま「おわり」の文字が打たれて漫画が終わる。なにそれ?とあっけにとられるが、この理解を拒絶する感じ、少年マンガみたいにわかりやすい説明と釈然としたオチを用意せずにテメエが解釈しろと言わんばかりに読者を突っぱねて、不安にさせ緊張させ、創作活動の一端を無理やり担わせる感じ。似た体験をどこかでしたと思えば、意味のつかめない詩に触れたとき、ワケのわからない現代アートのオブジェを見たときだ。ナンセンス、不条理、常識的な理解を超えたものを、それが表現のねらいだとうまく相手に分からせながら提示する知性があるという意味で、蛭子能収はまぎれもないアーティストだと思うのである。

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この人は明らかに近代と距離をとっている。一歩引いたところから、その異常性を暴こうとしている。象徴的なのは、サラリーマンの描き方だ。彼自身33歳で専業漫画家となるまで会社員をしていたこともあり、現代社会で最も一般的な生き方であるサラリーマンの生活がいかに特殊なものであるか悪意に満ちた方法で暴露してみせる。漫画に登場するサラリーマンはみなコピーしたようにまったく同じ顔をしているし、通勤の場面は、そんなコピーロボットが群れをなし、コマに余白を残さないほどギチギチに詰まった息ぐるしい密度で描く。中島らもは脱サラした日の朝、家の外に「ザッザッザッザッ」と耳慣れない音を聞いた。カーテンのすき間からおそるおそる外を見ると、軍隊のような規則正しさで駅まで行進するサラリーマンの足音だったという。蛭子さんにしても中島らもにしても、俗人が埋没しきった日常から脱する足と、常識の根拠がいかにアヤしいものであるかを見抜く目と耳と、それを他人に共感できるかたちで表現する手腕を持っている。やることは詩人と同じだ。

「なぜ詩を作るのか」という問いに対して、ある詩人は「日常のことばの記号性を打破するために」と答えている。日常のことばでは、語形と語義の間に、慣習によって定められた結びつきが出来上がってしまっている。日常のことばを使っている限り、われわれはすでに多く惰性化した日常のことばの決まりの上に成り立つ日常の世界の中で、これまた惰性化した営みを繰り返すだけである。詩人の意図しているのは、この惰性に揺さぶりをかけるということである。――池上嘉彦記号論への招待』(岩波新書)

こり固まった条理の世界に、いまだ惰性を知らないあたらしいことばで迫るのだ。その不条理はさしずめサバ缶の梅じそ風味といったところである。

さて『蛭子能収コレクション』の巻末付録には彼にゆかりある人物のインタビューが載る。そこに漫画家の根本敬が出てきて「蛭子さんを尊敬している」と答える。僕が尊敬するみうらじゅんが尊敬する人物が根本敬で、その根本敬が師と仰ぐのが蛭子さんなのだから、僕は間接的には蛭子さんの影響下にあるわけだ。テレビをみてバカにしていたおじさんが、自分の先生の先生の先生にあたる大先生だと知って心中複雑、いつなんどき目の前を行く人間がわが師匠になるとも知れず、うかうかバカもバカにできない。

 

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