おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

たいとるの啓示は詩人を探知する

 

言いたいことを並べていって、作業としては一番最後に題名を考えるのだが、雑多な内容をズバリまとめるひとことが浮かばない。ピルグリム・ファーザーズとSMAPとひとこぶらくだとビン・ラーディンからなる新ユニットに名前をつけろと言われるようなものだ。「全員死ぬし、うんこは臭い」くらいの名前しか思いつかない。

そこへくると、開高健のエッセイ『開口閉口』(題名も最高)には秀逸なタイトルばかりが並んでいる。「ネズミの仔は野原のイワシである」「男も卵を生むことがある」「ライターやら陰毛やらと寝床で死ねない男」「昔一升瓶が禿頭を往復した」。なかでも僕がいちばん好きなのは「たそがれの啓示は地雷を探知する」だ。中身を読みたいと思わせるのは勿論のこと、題名それ自体がひとりでに詩的な情調を備えている。いとうせいこうは「散文を書く人間にとって、唯一の『詩』はタイトルだ」と語るが、その意味で開高健はまぎれもない詩人である。専業作家になる以前、サントリーの宣伝部で商品のキャッチコピーなんかを考えていたようだから、もともとコピーライターとしての才能もあったわけだ。

「お客様への訴求力を高める」コピーライター屋発想のネーミングは、ただでさえあざとく、要点を外すとすぐに目ざわり耳ざわりの不快物になることは、各人すでに電車の中吊り広告で体験済みのことだと思う。これをさらに素人がまねすると、もらもら背脂の浮いたこってりラーメンの上に、サラダ油とごま油と2ストロークエンジン用の鉱物油を注ぎ入れるようなことになる。

そこにラーメン評論家の男がやってきたから大変だ。男は、虹色にきらめくスープの皮膜をみて一瞬うろたえるが、デジカメで角度を変えて写真を2枚撮ると、はじめて食うくせに「この層がたまらん」といった得意顔で、どんぶりに箸を突っ込み、底からホームレスの髪の毛のようなドロドロの麺を引きずり揚げた。今度は露骨に眉をしかめたが今さらあとに引けず、「やはり麺は細麺に限るナ」とうそぶいて、一気に啜り上げる。しかし味は思ったほど悪くないようで、安心した様子でふた口目に進むが、途中で箸を放りだして、あわてて口をおさえると、そのまま白目を剥いてぶっ倒れた。「お客さん、大丈夫ですか」と声をかける店主に、男はパッと目を見開き「死ぬほどうまい」と伝えると、ほんとうに息を引き取ってしまった。なにが言いたいのかといえば、うわべの真似事で満足してくれるのは、同じ玄人気取りのバカ舌人間だけということだ。

シンプルに「颯爽」(斎藤茂吉)とか「春秋」(内田百閒)のような漢字2文字の抽象語でまとめてしまうと、今度はそれに見合った中身が伴っていないと格好がつかない。「運命」という大それたタイトルのくせに、「コンビニのレジで『ポイントカードありますか?』って毎回聞かれるのホント面倒だよね。でもわたしはイライラしないって決めたの。小さいことにこだわって腹を立てたら、幸せのポイントカードは貯まらないんだから。幸せポイントをいっぱい貯めるとね、『人生』ってお店で、ステキな運命と交換できるんだよ?」みたいな内容なら僕は、「あれ? この記事のタイトルは『運命』ではなくて『頭の弱い女が人生とか幸福を身近なたとえ話でうまく語ってみました風ゴミ』の間違いですよね?」とコメントを残すだろう。それも名前を変えて2回である。

技巧派にせよ素朴派にせよ、それぞれに固有の問題があるので、一概にどちらが良いとはいえない。両者の板ばさみになったあげく、本文で使ったフレーズ、引用文を苦しまぎれにコピペしてタイトルに持ってくる不精派が台頭するゆえんである。事前にタイトルのつけ方を考えすぎた結果、書き手が被る最大の弊害は、今まさに目の前にある。つまり今度はオチのつけ方が分からない。

 

広告を非表示にする