おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

アルコール!! スピードスピードスピード!! ラッシュ!! アルコール!! スピーードドドドドドド!!!!!!

 

伊達メガネも、あごに手をやる動作も、あえて難しいタイトルの本を持ち歩くのも、知的に思われたいという気持ちの現れです。べつに悪いことではありません。人間は愚かであるより、賢くあろうとするほうが自然です。しかし、その賢さをIQ・偏差値・出身校といったくだらない指標に求めると、自分の上位互換はいくらでもあるわけですから、最終的には「ナンバーワンよりオンリーワン」という負け犬の名札を首にかけて、ヘラヘラと舌を出すことになります。

渡部昇一の『知的生活の方法』は、書斎を作ってワインを飲もう、といった大学教授のたわごとで構成されているくせに、100万部を売り上げるベストセラーになりました。こんなものをアカデミーと無縁の一般人が、インテリ・ライフにあこがれて読んでいたとすると悲しいものがあります。渡部昇一は、知的に生活するにはうってつけの空間だとして、豪華な一戸建てとその書斎の設計図を、4ページにわたり掲載しています。大学教授の給料ならそんな家も建つでしょうが、パンピーの薄給では中庭に植えるシンボルツリーの一本にすら手が届きにくいものです。

そこで推したいのが『知的D級生活のすすめ』です。唐沢俊一、下関マグロ、見沢知康といった見知らぬ豪華執筆陣7名(推定合計知能指数600)のコラムが収められています。なかでも僕が驚いたのは、石丸元章というライターの文章です。

新宿2丁目を歩いていると、鮮やかなイエローのランボルギーニが横につけて運転席にいる白髪の老人(77歳)から「ボクとドライブしない?」とナンパされます。誘いに応じて助手席に乗ると、車は東京から愛知まで突っ走り、最後には田舎のうずら飼育場のうらに停まります。ムード高まる車内でそっと尻をさし出すおじいさんを優しく抱き、帰りにお小遣い10万円をもらったというお話です。

これだけならちょっと変わったゲイの小話ですが、それだけで終わりません。彼はせまくるしい車内交合のさなか、「雑然とした体育倉庫の跳び箱の陰の狭いスペースに、体育用のマットを敷いて、男友達とかわるがわる交わった中学時代の青い性のほとばしり」を思い出すのです。これは並の人間に書けるものではありません。「長期にわたるワインの飲用は、脳の細胞に独特の栄養を与え、その活動を老齢にいたるまで衰えさせない」(渡部昇一『知的生活の方法』)といった記述よりもはるかに知的かつ詩的で、おまけに美的ですらあります。石丸元章の筆は、僕らがめったに知り得ない、老齢紳士の菊門の味をたしかに知っているのです。

「この本に書く何かがギリギリまで決まらなかったので、とりあえず刺青でも彫り込んで、原稿の最終〆切までになんかしらネタにしてしまおうと思った」と両腕にタトゥーも入れてしまう。この恐れを知らぬ体験主義と芸人顔負けのサービス精神は、作家として天性の資質です。実際に読む人を未知の体験に引きずり込み、ワクワクさせるという意味では、机上でエラそうな概念をこねまわして得意顔になっているインテリよりも、はるかに有意義なインパクトを社会に与えていると言えます。

しかし、その体当たり精神がアダとなり、ミイラ取りがミイラになってしまったのが、同じ石丸元章の『SPEED』です。スピードとは、フェニルメチルアミノプロパンすなわちシャブのことで、とくに火で炙って気化させたものを鼻から吸引するときにそう呼びます。この本は、石丸元章がドラッグリポートを作成する際に、また自らもドラッグ中毒に陥り、精神錯乱状態で書き残したいくつかの手記を、後年落ち着いてから再構成したものです。 当時のラリった勢いをなるべく残すために、手入れは最小限に留められています。たとえば、 

「明日がつまらないと思うなら、今、今、今、今、来るか来ないかわからない退屈そうな明日を信じるより、スピードの力で”今”を信じる。今、この瞬間をカラまわりしながら、うんとハイなところへいこうじゃないか。”今”のまま倒れるまで走り続ければいい!! 今、今、今!! そう今!!!!!!!!!!!!!! 今を走り続ける。いや、吸い続ける!! 自分自身を奮い立たせるために、今!! 今吸い続けるのさ!! 今!!」

「THAT'S SPEED MAGIC!!!!!! ラッシュ!! ラッシュ!! スピード!! ラッシュ!! スピード!! アルコール!! スピード!! LSDがグルグルグル。アルコール!! スピードスピードスピード!! ラッシュ!! アルコール!! スピーードドドドドドド!!!!!! もうこうなったら、アルミで吸ってる場合じゃない!! 量がもったいないが、パウダーにして鼻から吸引!! ツーン!! そのショックかスピードのせいか、その両方に間違いないが、瞬間的に覚醒!! 覚醒!! 覚醒だ!! そう、スピードってのは星が見える酒!! いや、自分が星になる酒さ!!」 

ずっとこの調子でまともに読めたものではありません。まともに読めないところに迫力があるのです。「覚醒は覚醒されるマテリアルの資質に属する」という平野威馬雄のことばを思い出します。僕らがドーピングしたところで、急に6メートルの棒高跳びをクリアできないように、パワーの源泉は薬にあるのではなく、薬を飲んだ人にもともと備わった能力にあるということです。

ふだんは大学院生よりちゃんとした文章を書く石丸元章にしても、薬でハイになれば不良中学生の作文に堕するところを目の当たりにすれば、覚せい剤の恐ろしさというか、その自己完結的な快楽のつまらなさを感じます。むろん、これが音楽や絵画といった表現形式だと話は変わってくるでしょう。しかし文章に関しては、それがつくづく頭の理性的なはたらきによって組み立てられていることを考えると、シャブとの相性は良くないようです。ドラッグ作家として有名な中島らもは、アルコールと睡眠薬のチャンポンでラリったまま優れた小説やエッセイを書き飛ばしていていましたが、『アマニタ・パンセリナ』にて、シャブは最低のドラッグで二度とやりたくないと語っています。同じドラッグでもその力を借りて文芸作品がものになるかどうかの線引きは確かに存在するようです。

石丸元章の『SPEED』は、支離滅裂なことばの洪水で、薬によってもたらされる高揚感をひたすら描写し続けるだけで、そこに批判や内省といった理性のはたらきがなく、シラフのままでは付き合い切れません。寝起きのテンションで窓の外にエレクトリカルパレードを見るようなものです。それでもこの本は最高にカッコいい。なぜなら最後部にこんな資料がついているからです。

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石丸元章が、覚せい剤の所持・使用で裁かれたときの判決文の謄本です。

文章の中に、右の者は「覚せい剤の使用による幻覚妄想状態も出現していることなどを総合すると…」といった文言が出てきます。つまり、この判決文の右に位置する今までの彼の記述すべて、すなわちこの本じたいが「幻想妄想」の4字に回収されて、きっちりとオチがつくのです。まるでショート・ショートのような仕掛けが、まぎれもない実話のエンディングなのだから痺れます。僕も自伝を綴ることがあれば、最後のページは、自分の死亡届で終わらせようと思いました。