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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

脱線の永久機関車

くだらないこと

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ブックオフで買ってきた本を、小出しに紹介するというこすからい執筆方法で、3本の記事を書き上げることに成功した。この手順をもっと改良して、1度に1冊だけとりあげ、あとは適当に脱線ばなしをつなげれば、いくらでも量産できるのではないか。これが古来より人類が求めてきた永久機関ではなくて一体なんなのだろう。

脱線といえば、わざと先生にややこしい質問をぶつける、もしくは先生が好んで話したがる話題を振ることで、授業の進行を遅らせる戦法が、生徒間で事前の相談がなくとも自然な連携プレーによって遂行されていた。クラス対抗の球技大会で優勝するより、先生のはなしを煙にまく共同作業によって、クラスの連帯感は強まるのである。

ぐうたらな中・高校教師とくらべると、大学の教員はみな「シラバス」という自分が立てた学習計画から踏み外さないように自己管理して授業を行うために脱線が少なく、おもしろくない。本筋の展開に90分もの時間を充てるのである。私語をするな、ケータイをいじるなと注意するほうに無理がある。

5年間(ぎゅっと圧縮すれば3ヵ月と4日)の大学生活のなかで、たった1人だけ暴走機関車のような先生と出会った。機関車といっても既に60を過ぎたおじいさんである。大盛りのカップ焼きそばを頭のうえでひっくり返したようなボサボサの白髪をしていて、顔は銅像からすげ替えたように巨大で、ぶ厚いべっ甲製のメガネをかけている。ぷっくりしたおなかの中腹までベージュのスラックスを伸ばして、おへそのはるか上のところで窮屈そうに革ベルトを締めている。もちろんシャツはインである。背が低いせいもあって遠目には3頭身の人間だ。『鉄腕アトム』に登場するお茶の水博士をいちど現実世界に引きずり出して、デフォルメを重ねてから、またマンガの世界に押し込めたような姿である。

PowerPointでつくったスライドをプロジェクターをとおしてスクリーンに投影するなんて現代的な授業方法はとらない。紙のレジュメもない。お茶の水博士が「きょうは○○について話そうと思うのだが、そのまえに余談として……」以下90分にわたり延々と続く余談、その派生の派生、その枝葉の枝葉を、学生は一心不乱に手元のノートに書き留めていくのである。

お茶の水は講義中、学生にむかって語りかける、質問を投げかける、議論をうながす、といった揉み手のごますり客商売は一切しない。でかい頭蓋骨の密室にひとり引きこもって、思考のエンジンに火をくべるだけだ。彼の頭のなかでは、ちょうど核分裂でとびだした中性子が、またべつの原子核を分裂させて、爆発的な連鎖反応を起こすように、連想が連想をよび、膨大な知的エネルギーが放たれる。なにもしらない学生たちを光の速度で突き放し、じぶんの脳内にひろがった諸概念のみせる美しい景色にどっぷりと浸かって、講義終了の時間がくるまで帰ってこない。

ラクチンで親切な授業をもとめる学生からは当然のように人気がなく、回数を重ねるごとに受講生が少なくなっていく。そのせいか講義室も、学内でもっとも狭く、汚い部屋をあてがわれている。しかし先生にはそんなこと関係ないのである。

ぼくは初回の授業を受けてすぐに単位取得をあきらめたが、授業登録を抹消せずに、最終回まで一度も欠かすことなく出席し続けた。だれも読めない殴り書きの文字を満載した黒板のまえで、鼻の穴から白煙をもくもくと立ち昇らせ、ひん剥いた目玉をパチクリさせて、ぼくらには見えないお花畑のなかを蝶となってかろやかに舞う先生のすがたをみて、その講義内容はともかくも、好きなことに没頭することの素晴らしさを学び、好きなことに熱中しているときの人間の輝きを知ったのである。

 

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