酒を飲んだときに読む本

吉行淳之介編集の『酔っぱらい読本』というアンソロジーを買ってきた。

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この本は、酒にまつわるエッセイ、詩、さらには古典落語にいたるまで、古今東西のあらゆる酒呑みたちの文章を集めたものである。佐々木侃司(ささきかんじ)というイラストレーターの挿絵もオシャレでよい。

この絵の感じ、トリスハイボールのおじさん(アンクルトリス)を描いた人じゃないか? と思って調べると、トリスは柳原良平というまた別のイラストレーターの描いたキャラクターであるらしい。鼻がぬっと突き出た顔のデフォルメのしかたが似ていると思ったのだが…。

この佐々木侃司という人の絵、どこかで見覚えがあると思えば、北杜夫のどくとるマンボウシリーズの担当者である。

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イラストレーターでいえば、山藤章二が好きだ。山藤章二は、筒井康隆井上ひさしのエッセイ等、おもしろい本にはかならずイラストを寄せている。逆に「山藤章二の絵だからオモシロイはずだ」という本の見立てもできるくらいである。

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彼の単著『アタクシ絵日記 忘月忘日』シリーズは、手書きの文章をそのまま掲載し(誤字を黒インキでぐるぐる塗りつぶした修正跡までしっかりと転写されている)、自作のイラストを添えた山藤づくしの一冊である。

しかし、この本はあまり好きではない。絵の才能にくらべたら、彼の文才はフツーであって、悪くいえば単なるおじさんの絵日記なのだ。「天は二物を与えず」の法則がちゃんと機能しているという意味では、読んでほっとするところもある。美人にして巨乳はちょっと望みすぎだ。悲しいけれど、どちらかを犠牲にしなければならない。しかし、それが持ちつ持たれつの人間社会の基礎なのだから、欠如欠損欠落欠点すべて大いに尊ぶべきである。

 

どわ。話が脱線したが、とりあえずぼくはこの『酔っぱらい読本』を一から陸までの全6冊そっくり買ってきたのである。

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みうらじゅん風にいえば「成敗」したのだ。

ほんとうは「1冊だけ味見をしてから…」なんてヤワな考えを起こしたが、もし数日後に店を訪れたとき続編がすべて買われていたとしたら、やりきれない。気に入った巻だけを抜いて買うのは合理的だが、歯抜けジジイの口元のようで気持ちが悪い。仲間はずれを作らないように、棚から6点セットでぜんぶ持って帰ってやらねばならぬと思ったのである。

この本はきっと最近亡くなったお爺さんの蔵書だ。書斎を埋め尽くす本の処分に困った婆さんが、孫娘の小遣いにでもなればと古書店に売り払ったのだ。孫娘はその金をつかって肩甲骨に蝶のタトゥーを彫るだろう。ぼくはお爺さんの遺した書物を引きとることで、彼の無念を晴らし、次世代へと書物のタスキをリレーする大役を任されたのである。そんな使命感に駆られて(あるいは無駄使いを正当化する理由を探し当て)、シリーズ全巻を成敗することにしたのである。

ぼくはこの本をシラフのときには読まないと決めて現にそれを守っている。酒のはなしは酔っ払っているときに読むほうがおもしろい。

中島らもは、ウイスキーを煽りながら、アルコール中毒に関する文献を読み漁っていたそうである。その気持ちはよくわかる。中島らもがアル中で入院したときの体験をもとにして書いた『今夜すべてのバーで』にしてからが酩酊しているときに読むのがいちばん楽しいからだ。コーラ色の尿を垂れ、真っ白のカチコチのうんこをひねり、手は震え、足はおぼつかず、ぼろぼろに壊れた灰色の肝臓をいたわって入院生活を送る主人公の姿を想像しながら、諸悪の根源であるアルコールを口にするという遊びには、自己破壊的な衝動を満足させる刺激がある。底がみえない大きな穴ぼこがこの先で待っていることを知りながら、みずからエスカレーターに飛び乗ってずるずると前進していくような感覚である。「地獄への道は善意で舗装されている」というが、破滅への道も同じようにバラの花壇で彩られているのである。

 

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