おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

本名は中川雅也

ブックオフの海外文学コーナーで、

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外国人作家に混じってリリー・フランキーの『東京タワー』が陳列されていた。

たしかに名前だけみれば外国人だと思うのも無理ないが、さすがに副題の「オトン」「オカン」という表現には違和感があるのでは…。

文庫の整理番号のところをよく見ると、リンドバーグの場合はカタカナの「リ」で、リリー・フランキーはひらがなの「り」になっている。この二文字もカタチが似ていてややこしいが、こんなところでちゃんと区別されているようだ。 

 

以下余談……

1週間ぶりにブログを更新した。じつはこの間に「最近ちょっと忙しくて…」から始まる言いわけの記事を3,4本書いた。しかし下書きのままで置いてある。これは検尿と同じ理屈だ。

出始めのおしっこは捨てねばならない。検査の精度を上げるためには、クリアな尿をコップに入れる必要がある。ブログも同様に「いままで更新がなかった理由」「この記事を書くことになった経緯」をだらだらと並べてしまうと、いくら尿であれ糞であれ、質が下がってしまうのである。それにいきなり本題に入ってくれたほうが読む方としてもありがたい。

「更新はまだか?」という声は、書き手が架空の読者をつくりあげて、その口を借りて喋らせている妄言に過ぎない。ありもしないプレッシャーを感じないでいるためには、悲痛な現実を受け入れる必要がある。その現実とは、だれも自分のブログ更新を待ってはいないし、期待もしていないという事実である。

ここで岡本太郎から大事なひとこと。

 

最近すこぶるマジメで、おふざけ一切なしの格式張った書類をまとめて仕上げる必要があり、ストレスが溜まった。ストレスの根源は、どうでもいいこと、いい加減なこと、しょうもないことを書いてはいけない大人のルールにある。

「ここでわたしは愛蔵の肉便器に、トイレのふちを舐めあげろと命じたのである」なんてことを書いたら一発退場なわけだ。書くと、周囲の人から頭がおかしくなったと思われて、郊外の丘にある真っ白な施設に隔離される。そこでぼくは、宇宙から電波攻撃を受けていると言う青年といっしょに食事することになるのだ。

なるほど、頭がおかしいと思われるのは結構なことである。しかし頭のおかしい奴といっしょにいると、頭のおかしいことが通常になって、もはや自分が頭のおかしい人間ではなくなることが、頭のおかしい人間として腹立たしいわけである。

こういうくだらないことを書いても怒られない場所はたいへん貴重だし、それを読んでもらえる環境はもっと得がたいものだ。ぼくはおしゃべりでストレスを解消するタイプではないから、このブログがなければ今ごろ発狂しているのではないかと本気で思う。やっててよかった公文式。そしてコンドームとはてなブログ

 

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