おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

本を読むな、活字離れせよ

寺山修司『幸福論』の一文である。

書物はあくまで、「時」という名の書斎と、「教養」という名の椅子、それに少しばかりの金銭的余裕をもちあわせている人生嫌いの人たちに、代理の人生の味わいを教えてくれるだけである。

本好きをチクリと刺す、イヤなことばだ。

「人生嫌いの人たちに、代理の人生の味わいを」という箇所は、今まさに寺山修司の脳みそにライドして、このくそつまらない現実世界から逃げ出そうとする人の腰をひっつかんで、尻穴に指を入れるような悪戯である。

読書のくだらなさを指摘する意味では愉快でもある。日本人の半数がひと月に1冊も本を読まないと聞くと、読書がいかにも崇高な行為にみえるが、これは本を読まなくても問題なく生きていけるという事実を示しているに過ぎない。

にもかかわらず、学校社会の気風にたなびいて「読書礼賛」を叫び続けたあげく、活字の檻に囚われた哀れな読書人は、現実がまったく書きことば的に構成されているものだと思い込む。文字になることだけが社会に事実として固定されるのだと本気で信じてしまう。本にならぬものへの想像力を失ったのだ。

読書し過ぎた人間は、世界の奥行きを忘れる。インクの染みだけが意味をもつ茫漠の二次元に押し込められて、見えない立体の影におびえながら暮らすのである。そこから逃れるには活字離れの跳躍力を借りるしかない。

 

この説教じみた反読書論、どこかで聞き覚えがあると思えば、高学歴の連中がうそぶく「学歴は関係ない」論である。伊集院光のラジオ『深夜の馬鹿力』からの孫引きだが、モンティパイソンに次のようなコントがある。

学者「学歴など役に立たない」
大衆「でも学歴はあったほうがいい気がします」
学者「いらないと言ったら、いらないのだ」
大衆「やはり学歴は大事です」
学者「だまれ! これだから低学歴は困る!」

これを本に置き換えれば、

「おまえは本を読まないから、本を読まなくてもいいことが分からんのだ」

ということになる。

文学者たちの書物にたいする距離の置き方だけをまねして読書せずにいても、読書の不必要性にはいつまでたっても確信が持てない。だから、ほんとうに本を読みたくないなら、徹底的に読まなくてはならないのだ。ウソだろ、そんなのイヤだ。

 

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