一人二人三脚

作家の仕事は、机に向かってものを書く時間より、書いたものを見直す時間のほうが長い。

 『ガキの使い』に出演した羽田圭介がそんなことを言っていた。実際に『情熱大陸』では、執筆する場面が1秒も映らない。

羽田圭介は、編集者の細かい注文を記したリストに目を通しながら、じぶんの作品をどう書き換え、どこを削ればよいのか、ひたすら思い悩む。その仕事ぶりは芸術家というより、規格にぴったりとあった製品を納入する製造業者のようだった。

創作をしきりに「仕事」と言う。文筆業で暮らせる人間へのひがみもあって、その態度が気に食わなかった。 ぼくが思い描く小説家――タバコの吸い殻をこんもりと灰皿に積み上げ、散らかった机のうえで、たえず不機嫌そうな顔をしながら、万年筆でカリカカリカリ、ひたすら原稿用紙の空白を埋めていくような人間とはまるで別の業界人に見えた。

編集者という存在は妙だ。ブログには、読み手の分かりやすさを考えて、いちいちアドバイスをくれる人間はいない。執筆者でありながら編集者を兼任しなければいけないので、好き勝手やれるぶん、ディレクションのセンスが悪いと、せっかくの好素材がうまく伝わらずに失敗しやすい。

二人三脚でトラックを快走する作家と編集者を横目に見ながら、ブロガーはじぶんの両脚をひもで結わえてぶざまに転げまわる。ばっと立ち昇った土煙の向こうに、ぴょんぴょん飛び跳ねる人影をみると、これまた麻袋に入ったブロガーである。左右の足を交互に踏み出すことをもって人体が前進することを知る者だけが、この競技を有利に進めることができる。声援を受けるのは、美しいフォームで駆ける走者だけだ。周回遅れのデブを讃える拍手には、ありったけの侮蔑が含まれている。「弱者への愛には、いつも殺意がこめられている」(安部公房)ように。

 

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