おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

モテたい!モテたい!モテたい!

能町みね子の『くすぶれ!モテない系』(文春文庫)を読んだ。最近この手の「モテ」に関する本、しかも女性側から考えるモテ論を読むようになった。

街を歩けば、男の非モテに関してはたちどころに理解できる。非モテの男は、顔や眼つき、ファッション、身のこなしといったあらゆる要素から、女性をよせつけない臭気みたいなものを鋭く発散している。本書で「圏外」と呼ばれる一派である。

圏外」というグルーピングは一見、否定的ニュアンスを含むが、必ずしもそうではない。「圏外」に属する人々は、自身の非モテっぷりに悩んでいない、あるいは悩みすぎたあげく強大な遠心力によって「モテ-非モテ」という運動系から飛び出した超越者なのである。他者の目から解放された場所で、心やすからに自分の趣味に打ち込むのは、たいへんな幸福だと思わないか。

それにたいして大半の人間は「モテない系」に属する。こちらは、単純にモテようとしてモテない人。あるいは、異性からみて魅力的な人物がどんなものか知っており、どうすればその理想像に自分を寄せることができるかきちんと把握しているくせに、わが身を切り刻むような努力をしてまで異性の用意した雛形に体を合わせるのはご免だという、なまけ者にしてひねくれ者である。

モテない系」は、モテたいという意欲があるぶん、モテない現実との不一致が生じて、自意識が擦れて熱を帯びるため、人間的におもしろくなる。実は「モテてない」ほうが人間として上位であることは、みうらじゅん氏の言うとおりだ。  

 

若いうちは、確実に童貞をこじらせないとマニアの道には入れないと思う。まっとうにモテたりしているようじゃ、まだまだだっていうことを気が付かないとダメなんだ。現世でも、今でも思っているけども、モテてる人は、モテてることに奢っちゃって気がつかないことがいっぱいあって、実は「モテてる」のと「モテてない」のだったら、「モテてない」のほうが上なんだ。人として。モテてるってのは、調子よく生きているってことで、モテないがゆえに考える境地があるわけで、ホントはモテないほうが正しいんですよ。
(『山田五郞アワー・マニア解体新書』での発言から)

 

ぼくはこの本を読んで、女性にたいする見方が変わった。いままで全ての異性を「女性」とひと括りにして、苦手なもの、理解できないものと考えていたが、なかには僕たちと同じようにモテないことで日々悩ましく過ごす女の子がいると知ったのだ。

 

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(前掲書 p.23 / この分布図すげえ納得感ある…。)

 

能町みね子は、男女を「モテ系/モテない系/圏外」の3つに分けるが、男からすれば(そしておそらく女性も)相手のことを「モテ系or圏外」のシンプルな二択でしか把握してないと思う。そのあいだに男女ともが共感できる、そしてなにより愛すべき対象として「モテない系」という中間項を置いてみせたことが、類書にみないこの本の素晴らしいところだ。

 

本書は女子向けだが、ちゃんと男子向けに、しかも心躍るような記述がある。

 

男子諸君は、もともとの外見はどうあろうと、多少清潔にして文系の趣味(読書・音楽・映画がよい。アニメとゲームは除く)を持つだけで、たぶんモテない系女子にはそこそこモテるよ。まして、この本を読んで「俺もモテない系に当てはまるな~」と感じた男子に至っては、髪をラフに伸ばして黒ぶちメガネをかけ、モテない系女子を狙うだけできっとすぐに彼女ができますよ。(p.140)

 

黒ぶちメガネをかけただけでモテる? バカげたことを言うな! と思うが、示唆的なのは「モテない系女子に」という箇所だ。

世の中の男はそもそも「モテない系女子」が眼中にない。それは僕らが「タマゴテングタケ」と「タマゴテングタケモドキ」を区別できずに、見た目に「キノコ」と一括して把握しているのと同じで、まずその違いが理解できないからである。「若い」×「」というだけで一定以上のモテが確保されるため、女がモテていないという状況がうまく飲み込めないのだ。だから僕らがモテるためには、まずモテない系女子を「発見」するところから始めねばならない。

男子諸君、この本がその宝地図である。

 

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