質より量も癖だのみ

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最近とくに更新の目標もないので、とりあえず「1000字」のゴールにむけて書くことにしてます。

ありきたりな「質より量」の法則を持ち出して、言い訳するつもりはありません。面倒なのは、毎日なんか書くクセがないこと、ビジネスライクに言い換えれば「習慣」がないことのほうです。

「数日間、筆を持たないとさっぱり書けなくなる」と言うのは、作家の井上ひさしよしもとばななですが、彼らみたいな専業の物書きでも、一度止まった大玉を転がすのに大汗をかくわけですから、素人ブロガーならなおさら手を休めず押し続けねば、この運動会を乗り切ることはできないでしょう。

いまチャールズ・デュヒッグ『習慣の力』(講談社+α文庫)を読んでいるところです。この本で衝撃的だったのは、スタバの徹底した社員教育とその美談ではなしに、歯磨き粉のピリピリでした。

習慣とは行為と報酬のループです。たとえば毎日の歯磨きは、「歯ブラシを動かす」行為と、その後の「口のなかに残るピリピリ」という刺激=報酬のセットから成り立っています。だから、たまに歯磨き粉なしで歯を磨くと、まるで磨いた気がしない。そのために歯磨き粉メーカーは、虫歯や歯周病予防にまったく寄与しない、ピリピリするだけの成分をチューブのなかに残しているという話です。この真実を知り、「くそ!だまされた!」と怒りに震えた日の夜も、ぼくは歯ブラシの先にたっぷりと歯磨き粉をつけたわけですから、習慣の力とは恐ろしいものです。

習慣といえば、「手洗いうがい」を長年続けています。中学の時に、胃腸風邪をひきたくない一心で始めました。薬用せっけんで手首から爪のあいだまで念入りに洗い、うがい薬でのどを洗浄します。それでも年に3回しっかり風邪をひく。いったい何のためにやっているのか、効果の薄さを自覚しても、手を洗わないと落ち着きません。

習慣には2種類あります。建設的なものと破壊的なものです。「手洗いうがい」は、どちらかというとプラスの行動なので、たいして面白くない。人間味がでるのは、「わかっちゃいるけどやめられない」悪習のほうです。

ぼくは毎夜、歯磨きしたあとにベッドに入って酒を飲み、甘いおつまみをたらふく食べてから寝ます。行動が逆転しているのは、酔っぱらって腹の満ちた、まさに夢見心地のうっとりとした気分のままで眠りにつきたいからです。ほろ酔いと満腹のふたつのハンマーで、現実と夢の境界線をならしてまわり、地続きにします。この作業中、歯磨きのためにベッドから起き上がり、口のなかをピリピリにされたら、世紀の大工事が台無しになってしまいます。

ぼくは、ぜんぶの歯を虫歯でなくして、話すたびに入れ歯と歯ぐきのあいだからハコハコと音をさせても、あるいは逆流性食道炎になってところかまわず小間物屋を開いても(「小間物屋を開く」とは、へどを吐くこと。むかしの人はゲロも風流だったんでしょうか)、さらにBMI値70の超肥満体になり、自分の尻を拭くことはおろか、寝返りさえ人の手を借りずにはできなくなったとしても、この悪癖を改めることはないでしょう。それがこの世でもっとも甘美かつ強大な「悪習の力」なのです。

 

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