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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

読まない読書ライフ

 

本とは、なんというか、紙である
(かたむきみちお・自称フリーモデル)

――そう、今宵は本のはなし。
語り手は、稀代のブックマイスター・かたむきみちお。
「中身を読まなくとも、本棚に飾るだけで読んだことになる」
という独自の「読ん棚」理論を用いて、読まない読書ライフを提案する。

これが一部の知的貧困層に大ウケし、
人気の読書セミナー「【本棚で稼ぐ】【これが次世代のビジネスモデル】時間も場所にも縛られない、1日のうちほんの数分、最短最速で月収50万を突破する秘訣を伝授【先着20名様限定】」を主宰する。
受講者からは「だまされた」「高額な羽毛布団を契約させられた」などの声が多数寄せられ、いまもっとも消費生活センターや警察当局から注目される読書家の一人となる。そんな彼が今夜、本棚におさめる本は――

 

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和田秀樹『バカとは何か』(幻冬舎新書)

ぼくはもう利口になれないと思って、じゃあ反対にバカになってやろうと思い、日々バカになるために努力を重ねているわけであるが、いくらバカといえども、そもそもバカとは何かを知らずして、おいそれと成れるものでなし、東大医学部をでた先生に「バカとは何か」をご教授たまわりたく本書を手にした次第である。

まさか冒頭で「本書はバカを治すための本だ」と宣言されるとも知らず、間違って買ってきたじぶんのバカさ加減にあきれると同時に、また一歩バカとして前進できたことを嬉しく思った。だってバカを知るためにバカから最も遠い人間に聞くのだからこんなバカな話はない。大政奉還がなにかも知らないFラン大学生を連れて来て、「バカとは何か」を語らせると、あまりに真剣すぎるので、かえってバカと離れてしまう。もちは餅屋、蛇の道はへび。しかしバカは東大、リコウは中卒に聞かねば、バカなるものを掴むことはできないのである。

 


・立花岳志『ノマドワーカーという生き方』(東洋経済)

ひとりのブログ運営者として、「プロブロガー」なる肩書きをもった人間をみると、ワッと全身の毛穴が開く。ブログを更新するだけで十分な収入を得られるなら、こんなに良いことはないと思うわけだ。

このまま更新を続ければ、いつか話題になって、一躍有名人となり、2流グラビアアイドルとの合コンなり、六本木のクラブで酒とドラッグのラリパッパ大会なり、デーハーな振る舞いができるのではないかと日々夢見ながら過ごす。クラーク流にいえば、これがぼくの「少年よ大志を抱け」の大志の内訳である。

しかしプロの道は厳しいもので、日常生活においてブログ更新を最優先事項にセットして、夜に疲れて帰ってきても根性入れて記事を書き上げ、仕事をしながら1日3回の更新ペースを維持するなど、とても真似できたものじゃない。やっぱホンモノってすげえんだ。プロの道を目指して鼓舞されるというより、一生あまブロガーの地位に甘んじているほうが良いと思わされる。その意味で、ふやけたタマキンに冷水をぶっかけるような本だ。

読者を獲得する記事作成のコツは、読んだ人の役に立つ「情報」を重視して、「自分」色をなるべく少なくすることだ、と述べる。ほとんどのブログは、このバランスが逆になっているというのだ。たしかに、自分の過去記事を振り返れば、内容よりも、それを扱う自分の筆さばきのセンスを褒めてもらいたいあまり、車のウィンドウガラスをみて毛先を直す高校生のように「自分みてみてクン」の動作ばかりが目につく。自分みてみてクンのガーリックペッパー味とはよく言ったものだ。

くめどもつきせぬブログ論。
一見まるで役立たないことで誰かの役に立つ秘境はないものか。

 

 

湯川秀樹『本の中の世界』(岩波新書)
・神坂次郎『元禄御畳奉行の日記――尾張藩士の見た浮世』(中公新書)

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とにかく古く、汚い。だから買った。

ノーベル物理学賞を獲った人の読書遍歴や、元禄時代の武士の生活に興味はない。ぼくは古い新書じたいに興味があるのだ。「女房と茄子は若いが良い」というが、新書はその名前に反して古いほうが良い。年代物のほうが、人間の生理に合うというか、身体の芯に染みこむような、まろやかな刺激がある。たいして現代の新・新書は、大半が「じぶんのブログでやってろよ」とでも言いたくなるほど、軽くて浅くて無内容で、いまの半額くらいの値じゃないと釣り合わないボッタクリの書物である。とにかく「新書の真髄は古書にあり」ということば遊びが言いたいのだ。

 


鈴木旭『面白いほどよくわかる日本史』(日本文芸社)
・皆木和義『軍師の戦略』(クロスメディア・パブリッシング)

ぼくは日本史も世界史も勉強せずに大学に入った。

どんな学校かと言えば、裏口がどうどうと表にあるような学校である。名前を書いて、白衣を着た面接官の前を通り、猿でないことがわかれば、合格の判がでる。それでも教室には、体毛を綺麗に剃りあげた4,5匹のチンパンジーが紛れ込んでいた。ぼくはいまだに「大政奉還」の意味するところをよくわかっていない。さすがにこのままでは、かしこぶるにも箔が付かないと察したので勉強することにした。まったく自分でも賢くなりたいのかバカになりたいのかよくワカラナイのである。

 

 

 

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