超越するオナニー

 

サブカル系ライターはオナニーを語る。というより、オナニーを語らねばサブカル業界人ではない、といった雰囲気さえある。下ネタを言うだけのラクな商売に見えるが、実際そうでもないらしい。

リリー・フランキーみうらじゅんが、共著の発売イベントで言った。「私生活ですごく悲しいことがあっても、舞台に出てチンコの話をしなければいけない。これほど辛いことはない」。なるほど最愛のペットが車に轢かれて死んだ日に、亀頭にまつわる冗談を言いまくる強靭な精神のことをプロ根性と言うのだ。

私たちはプライバシーの最深部に自慰行為をひた隠しにする。自意識のよどみから秘密を引きずりだして、そのまま提示するのは変態である。プロの変態は、その表面から「キモチワルさ」を脱色し、客人が胃もたれなく消化できるようにクリーニングを重ねる。私的な密室でおこなう秘め事を、背後のドアからこっそり見つめるような態度で記述するとき、そこに妙なおかしさが生まれる。このメタ視点から観測されるオナニーを「メタニー」と呼ぶ。どんな分野であれ、サブカルで食う人間はみなメタニーの名手だ。

ある春画を思い出す。当時、春画は「笑絵」と呼ばれ、ヌキよりワライのために消費されていた。しかし、そんな定説もあやしいものだ。写真や動画が発明される以前の唯一のエロ媒体である。笑うためだけに利用されたと考えるのは、ちょっと発想がナイーブ過ぎる。

勝川春章の『会本腎強喜』には、妄想しながら自慰にふける男の絵がある。

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男は寝言をいう。
「おめえ俺が好きか、俺もおめえが可愛いい。だれもいないから、さあちょっと口を吸わせな。おお、おめえの口はエエにおいだ。おめえ初めてなら、ちっとこらえてな。それ入れるよ。おやおや何かへのこがシクシクする」

男の痴態を面格子からのぞいて女、
「おやおやこれはすごいこと。糸源さんは面白い夢でもみているようだ」

21世紀の妄想世界も変わらない。「おめえ初めてなら、ちっとこらえてな。それ入れるよ」と同じようなセリフを、だれもが一度は頭のなかで唱えている。

雑談の教則本は、天気・健康・ニュースを話題にしろと言う。オナニーも、それらとまったく遜色ない人類規模の共通約数である。電車でとなりに座った会社員も、繁華街を歩くニューハーフも、医者も教授も、大統領もみんなマスを掻いてきた。どんなに偉そうにふんぞり返っている奴でも、みじめにチンコをしごいてきたわけである。スペルマで丸めたティッシュをゴミ箱に放り込んできたわけである。

私はつねづね、社会的地位の高い人間がハゲていることには、大きな役得があると考えている。どんなお偉いさんでも、ハゲという一点で、周囲の誰もが「この野郎、ハゲてやがるくせに」とバカにできる余地が残る。ハゲ頭は、権力の圧迫感をぬぐう。

オナニーも同じだ。私たちはオナニーするからお互いに少しずつバカにできる。人間関係のストレスを緩和するという意味で、まったく個人的な自己充足の行為が、じつは全人類的なコミュニケーションを開く鍵となっている。オナニーは、決して語られない共通話題として秘密裡に、つねに機能している。

 

閉じた世界は、オナニーの発見によって開かれる。サシャ・バロン・コーエン主演の『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』では、オナニーを知らない男が、女性から「ペニスを出して、上下にしごいて…」と手ほどきを受ける。

この映画の主人公のように、性器への単純な刺激だけですぐ射精に至る大人がどれだけいるだろうか。HD画質のオンラインポルノがこれだけ充実した環境下で、なお自身のイマジネーションのみを用いてオナニーしている男がどれだけいるだろうか。

動物のなかで唯一人間だけが空想で勃起することが許されている。天から与えられたこの才能を使わないのは罪だ。高度に発達したテクノロジーをつかって、淡々と性処理を行うさまは、搾乳機をつけたホルスタインに等しい。タンクのなかに、じゃぼじゃぼとミルクが溜まっていく。

千原ジュニアが想像だけでオナニーしていると暴露されたとき、周囲の芸人は「気持ち悪い」と笑った。春画が描かれた時代なら、むしろ絵をみてオナニーしている方がうす気味悪かったかもしれない。評論家・宮崎哲弥は、頭のなかにイメージを固定することが苦手なため、オナニーができないと発言している。私も想像だけではできない。家にあったPCで初めてのオナニーを覚えた小学生以来、ずっと鮮明な動画と音声を頼ってきたために、見るものがないと興奮しない。

だから昔テレフォンセックスをして地獄をみた。お互いの声だけを頼りに、想像上のシチュエーションを共有して初めて成立する高度な営みである。しかし何を言われても「いや見えてないし」と心中で冷めたツッコミが入る。相手にあわせて演技するのもツラい。一人でするほうがマシだ。後日「もうやめないか」と相手に提案すると、聞くだけでいいからと妥協案に持ち込まれる。私は椅子に腰掛けて黙り、相手の一人芝居に15分ほど耳を傾ける。その間ずっと「オレは一体何をしているのか」と自問自答し続けることになる。

たいていの人間はオナニーを消費と結びつけて考えているが、本来もっと生産的で、創造的なものだ。バナナマンのラジオ番組などを担当する放送作家・オークラは、幼い頃に新聞紙をあつめて女体をつくり、パートナーにしていた。中学生時代のとんちきなオナニー談義には事欠かないが、歳をとるにしたがって、バカな創作オナニーにかける熱意と才能は失われていく。

スティーブ・ジョブズのことばを思い出して欲しい。
“Stay hungry, stay foolish.”

偉大な実業家はオナニーの心構えを説いた。

 

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