陶芸

紙ねんどを買ってきた。

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作りたいのは趣味である。

友人たちがクラブを握り始め、スコアがどうだ、ドライバーはあれがいい、週末はこのコースだと口を開けばゴルフのことばかり。幼なじみにも、車より値の張るスポーツバイクを買い、給料をすべてカスタムパーツに費やす奴がいる。そここにザ・大人の趣味が満開である。金を使うだけが趣味ではないぞ。

はっきりいうと、紙ねんどは気持ち悪い。いや、紙ねんどを趣味にする男の不気味さではなくて、紙ねんど自体のことだ。

ねんどは乾燥するとカチカチに固まるから、大量の水気を含んだまま袋づめされる。蒸発した水滴がぽつぽつとビニール袋から透けて見える。とりだすのもひと苦労だ。袋とねんどが密着して、はがすとヌッと糸を引いて離れない。

「必要な大きさのねんどをとって、こねてください」とある。が、この白いべちゃべちゃした物体は気味悪い。まるでデブ男のなま白い内腿から切りだした脂肪のブロックである。こんなものを素手でつかんで引き裂いてこねて何かを作るなんて生理的に受け付けない。捨てて、全てをなかったことにすれば、どれだけ晴れやかな気持ちで明日が迎えられることか。

べちゃべちゃしたものに手を触れなくなったのはいつからだろう? 水たまりに手をひたしたり、泥土に指を突っ込んだり、掘った地面の底に見えるグレーの粘土から泥だんごをつくって遊んでいた。今ではズボンの裾が砂に触れるところを想うだけで嫌になる。趣味とは遊びだ。童心に返らないでは何も趣味にならない。私は覚悟を決めて、白いかたまりに指を突き立てた。爪のあいだの奥深くまで、ねちゃねちゃしたねんどが入りこむ。うわッなんだこの感触は。こねるたびに顔が笑う。キモチイイ。

 

作品は完成した。
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部屋に飾って「あら素敵」と思われるような置き物を目指したのに、出来上がったのはハゲたおっさん型の白いディルドである。こんな不気味で、卑猥なものを作るために紙ねんどを買ったのではない。たたずまいが笑えてくる。

土いじりがセラピーになる理由がよくわかった。ねんどをこねる手のなかに、人の顔や動物や植物のようなカタチが次々と現れては消える。その様子をぼうっと眺めるうちに、練りこまれるねんどの奥へ奥へと心配ごとが吸い込まれていくような気持ちがする。あまり言いすぎると、宗教じみてくるが、これは確かだ。

 

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