クリトリス

 

黒板にクリトリスを指す「陰核」の二文字を、そばに( i )のような生々しい図を添えて、びっしり書きこむ遊びが中学のころ流行った。チャイムが鳴って教師がやってくるまで、どれだけ消さずに待てるかという根性試しである。ある日、バカな奴がしくじって陰核だらけの黒板をそのままに、中年男の英語教師を迎えてしまった。

教師は卑猥な記号で埋め尽くされた黒板を見るなり顔色を変えて、脇に抱えた教科書を教卓に落とし、チョークを掴んで黒板の真ん中にでかでか「性」の一文字を書き入れた。みな唖然とするなか、ひと呼吸おいて低いトーンで「いいか、性というのは」と入る。そこから、その日の英語の授業はまるまるヒトの性の営みを高らかに謳いあげる性教育にとって代わった。先生の主意は「性をバカにしてはいけない」という真っ当なものだったが、この一件以来、彼は威厳を失って一気にエロの伝道師としてクスクス笑われる存在になってしまった。

いまから思えば、彼の行動は素晴らしかった。もし私が教師なら、落書きだらけの黒板を前にして声も荒らげず、中学生のからかい混じりの性に正面から向き合えたか。無理だ。小学校にいた図書館司書と同じ道をたどるにちがいない。

司書は、紫のメガネをかけた20代後半の細身の女性だった。当時流行していた乙武洋匡五体不満足』に触発され、私たちが館内をひざ立ちして歩きまわる「乙武さんごっこ」で遊ぶと、すぐに「こらー」と間の抜けたアニメ声で戒めた。

『マンガ 世界の歴史・古代編』を私は愛していた。インカ帝国の初代国王、マンコ・カパックが大活躍する一篇だからだ。私はある日、人物紹介のページを開いたまま彼女に迫った。

「先生はこれどう思う?」
「えっ」
彼女はマンコ・カパックを見てうろたえる。しかし大人だ。
「かっこいいキャラクターだと思うよ」
と、やり過ごした。しかしこちらも逃しはしない。
「いや、この名前をみてどう思う?」
マンコ・カパックを指差しながら問い詰める。
「なんとも思わないけど」
私は大いに失望した。

わかっているくせに言わないのだ。知っているくせに隠すのだ。せめて「へんな名前だねえ」と答えればいいのに、「なにも思わない」とは何だ! この場合は「なにも思わない」ほうがおかしいだろ! 知り合いにマンコさんが1人2人いるとでも言うのか? 私はそれから先生が信じられなくなった。

性の挑戦にたいして私たちがとる道は2通りある。
正しいことを言って笑われるか、隠して信用を失うかだ。
童貞は陰核とまともに向き合えない。ずるい大人も同じである。

 

陰核 ( i )

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