ツバメ

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涙は綺麗である。それが鼻腔を通れば鼻水と言われて、とたんに汚くなる。河川も水源ちかくはさらさらした透き通る清流であっても、都市を抜けると一気に茶色い汚泥を巻き込んで悪臭を放つのと似ている。しかし、これにしても幼い子供を持つ親は、愛するわが息子わが娘のために、詰まった鼻に口をあてて、その中身を吸い出すことを嫌がらない。そのまま口に話を移そう。終戦直後まで列車の乗降デッキには、真鍮製やホーロー製の痰壺が置かれており、皆ぺっぺと口の中の青虫を吐きつけていたそうである。痰壺なるものは地上から姿を消したが、相変わらず痰はのど元から湧いて出るのであって、今でも駅のホームや道路の上には、靴底で踏みつけられた青虫の遺骸が転がっている。痰にせよ、つばにせよ、ゲロにせよ、入り口から逆流するものは総じて汚い。しかし、これにしても例外はつきものである。AV嬢は金のために反吐を飲み、カップルは愛のために舌を絡めて唾液を飲み合う。結局、人間に備わった穴という穴から排泄される体液は、頭から足先に向かって下るにつれて、汚さの度合いを増していくけれども、なにかと理由をつければ再び体内に摂り込むことは可能なのである。

では、動物の唾液は飲めるか。へらへらした犬の口から垂れ下がる大粒のよだれを飲めるか。愛犬家が自分のくちびるを犬にベロベロされて喜んでいるのを見ると、犬嫌いの私は背すじに冷たいものが走るが、どうやら人間はヒト科以外の動物の唾液も平気で飲めるようである。そして時には大金を出してまで動物のつばを飲む。中華料理の高級食材、ツバメの巣は、東南アジアに生息するアナツバメ科のツバメが吐いた唾液で出来ている。日本の民家の軒先に見るツバメの巣は、泥や枯れ草を集めて築かれたものであり、ごてごてした土色で、とても食べられそうにない。対してアナツバメの巣は、唾液腺の分泌物のみを重ねて作られているため、うすく焼いた食パンのように透き通った白肌を持ち、スープにひたして啜ると、いかにも美味そうだ。

人の探究心、あるいは馬鹿さ加減というのは底抜けである。時として食用にもなる動物の唾液を飲んでみせることなど、もはや俗物の貴族趣味に過ぎない。ジョン・ウォーターズの伝説的映画『ピンク・フラミンゴ』では、キャストが手に受けた犬の糞を食らう。『jackass 2』も負けてはいない。種付け馬のペニスに牛乳瓶を押し当て、中に放たれた大量のスペルマをひと息に飲み干す。ここまでくると、下品さとは何か分からなくなってくる。岡本太郎に言わせれば、汚さと美しさは両立する。美は絶対的である。時代の条件を無視する。綺麗さ、上品さ、オシャレさといった流行の価値から独立している。なぜならそれは「生命がひらき高揚したとき」の感動だからである。「場合によっては、一見ほとんど醜い相を呈することさえある。無意味だったり、恐ろしい、またゾッとするようなセンセーションであったりする。しかしそれでも美しいのである。」我々の日常に、馬のザーメンを飲むほどの生命の躍動はあるか。

 

参考
岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春文庫.
小島英俊『時速33キロから始まる日本鉄道史』朝日文庫.

ドーナツツーシーター田代まさししんどさ作詞ショッピングセンタータンジェントTalking with Script Doctorらももういくつ寝ると倒立積ん読クリムソンレーキ記憶術→ツバメ→?

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