おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

記憶術

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はじめに断っておくが、私は記憶力が弱く、今朝も何を食べたか思い出せないほどである。「やあ久しぶり」と旧友らしい人間から声をかけられても、その素性が分からず、約束という約束をすっぽかし、鏡の前に立つと、目の前の醜男は誰かと考え始めて外出もできない。周りに勧められて医者にかかろうにも、病院の電話番号を忘れ、そもそも電話をどこに置いたか忘れ、タクシーに乗ればなんとか病院にたどり着けるだろうと自宅前で待ち続け、日付が変わってからはじめてタクシーを呼ぶのを忘れていたことに気付く。当然これらの失態も自分では忘れているので、友人(誰だったか)に教えてもらって書いている。

古今の記憶術の本を開くと、イメージ法とストーリー法が必ず出てくる。イメージ法とは、憶えたいことをべつの物体に転換して記憶する手法で、ストーリー法はその配置に適当な物語を与えて、のちの想起に手間どらないようにしておく技術のことを言う。「いい国つくろう」の語呂をイメージで合わせるのだ。例えば2人の甥(01)が燃えたったお灸(09)を持ち、王子(02)の肩に置くまでのドラマを想像する。後からこの場面を再生して、01-01-09-02を抽出するのである。そんな回りくどいやり方は非効率的だという批判はごもっとも、この暗記法は単純な数字の羅列が10ケタ以上続くとき、とんでもない効力を発揮する。

もともと記憶術をバカにしていた筆者は、ものは試しとトランプをめくり、数字にイメージをこじつけて奇怪なストーリーをつくることで、カード20枚の配列を暗記できた。驚くべきは、その役立たずっぷりである。いったい日常生活のどんな場面で使えるというのか。好きな女の子を口説いて、やっと連絡先を聞き出したのに、手元にメモするものがなくて悔しい思いをしたことがある人なら、磨いて損ない技かもしれぬ。私たちはどうにかして脳みその外に記憶を残すべく、石版にのみを振るい、プリント基板に電子部品を打ち込んできた。今や記憶術は、円周率を10万ケタ憶える道楽のために、わずかな形骸を残すだけである。

三島由紀夫村上春樹が世界にウケるのは、彼らがイメージの作家だからと言われる*1。著作をひもとけば、

  • 一度はあれほど確乎としたもののようにみえた死の決心を、ときたま忘れている瞬間があることに、明秀は気づくことがないではなかった。それはもしかしたら、自殺の決心が、あの内接多角形が極まって円をえがくにいたるように、自然死へ親近してゆく兆候かもしれなかった。三島由紀夫『盗賊』(下線筆者)

といった例に事欠かない。

あざやかな視覚的イメージを立ち上げるという意味では川端康成も同類である。この手の作家の小説を思い出すとき、物語の筋よりも、ごく短い一場面、ほんの一箇所の比喩表現がぱっと浮かび上がる。ストーリーを後景に退けるくらい鮮烈なイメージを随所に持つことで、それらの作品は、人々の記憶にこびりついているのである。同じように自分の書きものが印象的であるためには、記憶術を逆手にとって、ストーリーテリングとイメージの喚起力を鍛えればよいのだ。さて、この件に関して筆者はいままでにない最高のトレーニング方法を考案した。ただ残念なことに、その内容が思い出せないのである。

 

*1 奥泉光いとうせいこう『小説の聖典――漫談で読む文学入門』河出文庫.

ドーナツツーシーター田代まさししんどさ作詞ショッピングセンタータンジェントTalking with Script Doctorらももういくつ寝ると倒立積ん読クリムソンレーキ→記憶術→?

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