おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

倒立

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逆立ちで学校へ来る子がいた。

登校班はみな二足歩行で進んだが、T君だけ首がない。股間から頭をぶら下げて、膝と逆向きに曲がる細い脚で地面に立っている。足の運びは爬虫類のようにしなやかで音もない。その速度は、周りで手を叩きながら囃す同行の児童がときどき駆け足になるほど速かった。私の家は、校門をはさんで彼の家と反対方向にあったため、登校中、向こうの丘からノッシノシとやって来る倒立二足歩行のT君のすがたをよく目にした。彼は三階にある教室まで逆立ちのまま階段を昇った。自席に着く直前、はじめて本物の脚が床を踏む瞬間に、我われ取り巻き連中は我慢ならず、大きく手を打って偉業を讃えた。

T君は体操一家の生まれで、将来オリンピック選手になることを属望されていた。当然勉強など二の次であり、宿題の未提出を教師から咎められると、その場で拳を握り、うつむいて、しずかに落涙するのだった。学校では教師から勉強の不出来を責められ、家では父から体操の不出来で叱られる日々は、手のまめをつぶすより辛かったかもしれない。当時の私は、ただ体操がうまいというだけで、勉学の義務を免れるT君が羨ましく、また恨めしかった。

T君が自宅の庭の鉄棒で練習に打ち込むところを見たことがある。友人と私は、駆け寄って名前を呼んだ。彼は一瞥をくれたのち、手首を支えるベルトを締め直して、なにも聞かなかったように練習を再開した。級友の問いかけを無視するとは何事かと腹を立てたが、あのとき彼が一瞬だけこちらに見せた表情は、悲痛に歪んでいた。ほんとうは遊びたい。今すぐリストバンドを解いて、手につけた白粉を払い、くだらない遊びに加わりたい。でも、居間にいる父が怖い顔してぼくの練習を見張っている。これ以上君らを見るのは辛いから早く消えてくれ。そんな叫びが聞こえてきた。

Tは現在、地方の体操教室でインストラクターをやっている。大きな試合でいくつもメダルを獲ったが、不運な怪我で現役から退いた。15年前、未来のオリンピック選手にせがんで書いてもらったサインを、私はいまでも捨てずに取ってある。

 

ドーナツツーシーター田代まさししんどさ作詞ショッピングセンタータンジェントTalking with Script Doctorらももういくつ寝ると→倒立→?

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