Talking with Script Doctor

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三宅隆太が、冒頭で注意する脚本の一類型に「窓辺」系がある。名の由来は、主人公が窓辺に佇み、もの思いに耽る場面が書き込まれていることだ。未熟な脚本家志望者は、人間の心理的葛藤をあらわす際に、わけあり顔の人間を窓辺に立たせて何か問題を解決したような気でいる。それは執筆者に理解できても観客には伝わらないシーンとなる。映画には小説の地の文のように人物の思考の流れを書き込めない。人物の心の動きを言外の行動で示し、実際のコンフリクトと直接対峙させねばならぬところ、「窓辺」の主人公は、いつも家の窓から景色を眺めて頭のなかで物事に決着をつけようとする。

「窓辺」系シナリオを書く生徒には次の共通点があると言う。

・傷つきやすく、不安を抱えやすい
・大局的に物事を見るのが苦手で、細かいことにこだわりやすい
・極度に自信がなく、自己否定や自己凝視におちいりやすい
・そのわりには自尊心が高く、柔軟性に欠け、頭でっかちになりやすい
・社会的バランスを重んじるあまり、他者との争いを恐れ、避けたがる
・苦手なことから目をそらし、怒りの感情を押さえ込みやすい
・実際には心に浮かんだ想いがあるにも関わらず、それを我慢し、内に秘めてしまう

「わっ。オレのことか」

自分のメンタリティを因数分解すると、この式と過不足なく一致する。「窓辺」系の資格ありというわけだ。うつ病に当人の病識がないように、「窓辺」系もまた本人に自覚なき病いなのかもしれない。そう思って小文を振り返れば、思弁的で、否定的で、神経症的で、臆病で、自意識過剰で、虚飾と虚勢にまみれ、卑下を伸ばした高慢家で、過去に囚われ向こう見ず、見えぬ未来を幼児的な甘えと万能感で塗り固めて暮らす男の手記に見える。私がスクリプト医師なら間違いなく診断書に「窓辺」系と記すだろう。

郊外の丘に並び建つコンクリの巨塊。この団地には、おそるべき精確さで階段、廊下、家々の間取りが彫りつけてある。どこを見ても同じ排列の繰り返しだ。鏡の館のように、イミテーションとイミテーションで進入者を幻惑する。それより彼は、建物一面を埋め尽くす人影、窓辺に佇立する住人のショーケースを見て驚くだろう。ずっと白の番手が回ってこない囲碁のように、アルミサッシで区切られた盤上は、ぱっとしない顔をつけた人頭の黒でいっぱいだ。この団地こそブログである。気がつけば彼もまた部屋の住人だ。窓辺に立ち、代わり映えしない外界の景色をうつろな顔してのぞき込んでいる。

 

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