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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

文章かくときに気をつけていること

この段、「素人のくせに」あるいは「浅学非才ながら」と言い訳するのが常道である。私はかねてより、文頭の謙遜はギャグであると見抜いている。経歴をみれば、超エリートコースを歩んできた学者が、じぶんの専門分野のことがらを語るときに、著作の冒頭で「寡聞にして」「管見によると」を繰り出すわけである。このギャップが笑いになる。素人が同じことをすると、実際が「寡聞にして管見」なのだから、そのままであり、ギャグにならない。胸を張って偉そうにしていればいいのだ。

未熟ゆえの利点だってある。作家、批評家、新聞記者、予備校講師、コミュニケーション・インストラクターといった面々が、かなり技術的に高い地点から、ものを教えるより、ハンパな人間がハンパ者どうし共有できる知恵を披露しあったほうが充実する。教室で国語教師からイロハを教わるのもいいが、となりの生徒に「ここ教えて」とひそひそ語りかけるのも、ちゃんとした学習だ。

働いたら負けかなと思ってる」に近い。
私は、次の一文が予想されたら負けと思っている。どんな文章でも、読者を次の「。」まで運ぶ力のないものは、そこで死ぬ。だから、なるべく予期せぬ二の句を継いで車窓をまぎらわせ、「気付いたら終着駅にいた」状況を目指して書く。この予測不可能性は、ヘンなことばづかい、日常からズレたものの言い方によってつくりだす。文学の世界でいう「異化効果」「詩的言語」の作用を借りる。

読者を、「おや?」「はて?」「うむ?」と立ち止まらせる。抵抗感を抱かせる。この抵抗感がじつは多段式ロケットの噴射装置と同じ作用をして、読者を前へ推し進めて行くのである。
井上ひさし『自家製 文章読本新潮文庫, 1987, p.75.

「抵抗感」は誰でも用意できる。しかし趣味が悪いと、本物の抵抗になる。抵抗を「感」のまま留めるには、シャレた感性が必要だ。それは、おのがじし好きな文章家に触れて、養っていくほかない。

「文章とは、サービス精神である」。私は井上ひさしから学んだ。つねに読者を喜ばせようと企み、おもしろい仕掛けを張り巡らせた天才である。どこかで読んだ文章読本のフレーズが頭をよぎる。「読者は、あなたが書く内容に興奮するのではなく、あなたが彼らを楽しませようとする姿勢じたいに、興奮するのだ」と。私は、素材の弱さをカバーするために、せめてホスピタリティの作法だけでも美しくしたいと考えている。

If you would like to write better than everybody else, you have to want to write better than everybody else. (William Zinsser, On Writing Well.)

(みんなより上手く書きたいなら、誰よりも上手く書こうと思え。)

そのへんの奴に負けてたまるか!と威張るのも大事だ。調子に乗っていると、かならず上手い人に出会って、めちゃくちゃに打ちのめされる。おれって「スゲえや」から「ダメじゃねえか」への直滑降だ。そうやって自己増長と卑下のサイクルを回すうち、いつしか山の頂を踏んでいた、というのが私の文章上達の理想である。

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