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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

ゲージツの秋。っつーわけで絵を描き始めた

タイヘンだ。ブログぜんぜん更新してない。あせって確認したら前から五日空いていた。この五日をどうとるか。休日更新のリーマンなら正常運転、一日に十回アップしなくちゃ気が済まないマニアなら白骨化した遺体が見つかる日数である。そこへきて、自分の場合はどうか。わたしの生き様を試験管のそとからこっそり眺める超越者とチャネリングしてデータを得た。 

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もらうデータを間違えたみたいだ。

さて、部屋が寂しい。恋人の不在とか、家族愛の欠如とかいう根本問題につきましては、このたび目を瞑らせてください。違うんです。もっと表層的な意味で、おとこ独り部屋のインテリアが「Quality of Life(生活の質)」とは無縁の社会であり、寝て食ってアレして労働力を再生産する灰色工場と化している。森はなく、土がなく、虫もいない。四角いプラスチックの安売り商品にかこまれて、虚飾のイスに座り、虚飾のつまみを回してコーヒーを温め、他人の夢物語に両眼をさらし、故意に視力をそこなって明日の淡い景色を確保する、そんな暮らしであります。芸術の息吹が欲しい。部屋に一枚でも絵を飾れば、ぱっと余裕が生まれるかと思います。

お部屋特集の雑誌を読むと、世の中にはシャレた生活をしている人がいるんだなあと感心する一方で、全く生活感のない、あまりに整理のいき届いた部屋をみて、撮影用にキレイにしてあるだけだろ! と言いたくもなる。読めば読むほど、じぶんの部屋がつまらなく見えるが、それでもやめられないのは、他人の生活空間を覗きみる楽しさがあるからだ。

一人暮らしをする大学生のA君は、部屋に絵を飾っている。だれでも一度は観たことある中世の名画に、アメリカの有名なポップアート、手当たりしだいに有名絵画を縮小コピーして写真立てに収め、棚のうえにずらっと並べている。
「こうすればお金もかからないし、おしゃれでしょ」
本人は大まじめにコメントするが、果たして家庭用プリンタで印刷したペラペラの小さい絵画はおしゃれだろうか。どんなに下手くそでも自分で描いた絵を置くほうがずっとおしゃれだし、よっぽどアーティスティックな生活だ。

部屋に絵を飾りたい。でもプリンタで刷ったり、ポスターを買ってくるのは芸がない。自分で描くしかないが、道具をどうするか。いろいろ思案していると、BanksyやDavid Choeの画集を読んだ思い出がすっと浮かんできて、そうだ、スプレーで描こう、と決めた。大体あの絵の具というのはイヤだ。水でといたり、色がべちゃべちゃと混ざったりして面倒なことが多い。こう一息にベターっと塗れる方法を考えたときに、一瞬でかたがつくスプレーが性に合っている。

画材屋に飛び込んで驚いた。中学高校とあれだけ粗末に扱っていたポスターカラー、あれだけ惜しみなくひねり出していた絵の具チューブの金額に。学生のときは、ただ学校から配布された教材であったのに、ひとたび校門を出ると高額な趣味の商品に変わっていやがる。油彩、水彩、アクリルだの、筆はこれだの紙はあれだの、一式揃えたときの総計を頭ではじいていると、だんだんめまいがしてきた。もし道具を完璧に集めたとしても、それでクソみたいな失敗作しか描けなかったら? 豚に真珠、猫に小判、馬の耳にあの、あれだ。馬の耳のあれの持ち腐れ。弘法は馬の耳を選ばず。羊の歯、カエルの目、牛の乳もまた選ばず。精選するのは、筆おろしの相手だけですよ、とは還俗の元僧侶。

ともあれ、クラシックな本格派の画材は、下町の文化住宅うまれ団地そだちの一不良に扱えるシロモノではないと直観した。ストリートに残された「落書き」は、スプレーという、持たざる者の武器で描かれているからこそ力強いし、カッコいい。社会のマイノリティを自覚するなら、正統な作法にじぶんを擦り合わせていくのではなく、徹底的に反抗すべきである。権力を茶化し、価値観を転覆せよ。画材店のレジ台に立ってそんな演説をしたら、飛んできた警備員にテーザー銃で撃たれ、失神した。

どこかじめじめした場所。顔がちくちくするのは、麻袋かなにかを頭から被っているせいだろう。あたりは暗いが、においもすごい。ドブとかカビではなくて、もっと化学的なものだ。油絵具の溶剤ってたしかこんなにおいがしたような。おれは美術の時間を思い出した。イーゼルの下に置いた容器からふわっと立ち昇るオイルのにおい。あれだ。するとここはアトリエか何かか?
「気がついたようね。ここは私のアトリエよ」
年増女の低い声。店に入ったとき、似たような「いらっしゃいませ」を聞いた。
「さっきは随分と騒いでくれたじゃない。おかげで客がみな逃げちゃったわよ」
「すまない。それは謝るから」
「すまないでは済ませない」
うしろから羽交い絞めにされる。明らかに男の筋力のものだ。おれは抵抗をあきらめた。それにこの後、何をされるかちょっと興味がある。
「どうするつもりだ」
反応はない。女の温かい指さきが胸元に触れる。ボタンが外され、シャツがはだける。女は無言、慣れた手つきでおれを裸にすると、先っぽの濡れた筆でおれの乳首を……

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スプレーで絵を描きはじめた。

 

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ルールがあるとすれば、自分の部屋に飾りたいものを描くこと。携帯電話がまだ二つに折れていた時代、外装パネルを自由に着脱して楽しむ「着せかえケータイ」というものがあったが、あの要領でどんどん描いては額に入れて壁にかけ、飽きては外してまた描き、というサイクルを回している。外出から戻って、自作の絵が出迎えてくれる心強さ、嬉しさはほかでは得がたい幸せだ。けれども、恐ろしくもある。さいきん、スプレーに含まれる有機溶剤をよく吸いこむせいか、今まで犯さなかったような小さい凡ミスが日常生活のなかで頻発するようになった。

ホームセンターを一周してラッカーやマスキングテープ、制作物を入れておくファイル、額縁など、時間をかけて選び出し、満杯になったカゴをレジに置いてカバンを開けたら、財布を持って来るのを忘れていて店員さんに平謝り。この前はもっとひどくて、本を買いに出かけた帰りの電車内、「あっ、そうそう。あの本も注文しておかなくちゃ」と思ってAmazonアプリを開け、一冊購入した。家に帰ってリュックを開けると、書店のビニール袋がある。まさかと思い、こわごわ中身をあらためると、さっきAmazonで注文した本と同じものが入っていた。本屋で買ったのをすっかり忘れていたのだ。あわててキャンセルしたが、この調子だとまたいずれどこかで失敗する。次のミスは、本の注文のように取り消しが効かないかもしれない。毎日少しずつ型紙を切ったり貼ったり、スプレーで塗りつけたりしているのだが、本当はそうやって制作するのが好きじゃなくて、シンナーを吸いたいだけなんじゃないかと自分が疑わしくなってくる。創作活動で得られる多幸感みたいなものが、すべて絵の具の成分によるものだとしたら? リピーターが絶えない飲食店がごく微量の覚せい剤を料理に混ぜて出している。そんな噂がひろがったあとで、それでも店に並ぶ客が「わたしはここの料理が好きで来ているだけだ」と弁明する。本人も一体、じぶんがどこに惹かれているのか分からないのである。

 

描いたものは、Instagramにのっけてます↓

 

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