読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

1,000円のシャープペンシルを買う

わたしはプロのライターでも、道楽の物書きでもない。

上階に住む男が洗濯機の操作をしくじり、水をあふれさせて、我が家の天井から雨を降らせたことがある。そのとき、こちらの被害はこれにあれだと紙に書きつけて、以上の金額を賠償せよという手紙を差し出した。なにか文章を書いて、お金をもらった経験というのは、後にも先にもその一回きりである。毎度、機械おんちの住人の下に引っ越して、同様の被害に運よく遭い続ければ、それで生計を立てることもできるが、そんな生業に可能性を見出すほど、洗濯機の操作は難しくないし、家の天井は薄くなく、住人もわたしもバカではない。

衣服に金をかけて、おしゃれに着飾ることを生きがいにする人を着道楽といい、うまいものを食べずにいては死んでしまうグルメびとを食い道楽という。この調子でいけば、誰が読むとも知れない文章を千行万字と書きつけて喜々としている人間は、書き道楽と呼んで差しつかえあるまい。

ところで、わたしはそんな道楽者ではない。わたしにとって書くとは、書いていないときの漠たる不安、大なる苦痛、真なる寂寥にたいして、しばらく不感症でいられるという、現実を相手どった詐術、正常な神経をだます麻酔的効果しか持たない。「創造性はドラッグと同じだ。私はそれなしでは生きられない」と言った映画監督がいる(セシル・B・デミル)。ある人にとって、それはセックスの感度を高める水色の錠剤である。正しいRGBパラメータをいじくって、視界をサイケデリックに染めるLSDであり、高ぶった精神のパルスを鎮め、α波にゆれる脳の血海からイワシの大群を釣り上げる大麻である。わたしの場合は、息絶えるまでのあいだ、つぶれた胸と裂かれた腹の激痛をやわらげてくれる、モルヒネのアンプル剤というわけだ。

どこかで存在を主張していないと自分という人間がやりきれない。ギリシアの名言集に「一人は無人」という大変残酷な切れ味の警句がある。ひとの輪に混じらず、徹底的に個人でありつづけることで、かけがいのない個性を打ち出せる。ひとりぼっちの人間はそう思って暮らしている。しかし、孤独のパレットには何色も載ることがない。色のない色でキャンバスを塗りつけて絵を完成させても、そこには何も描けていない。ウェブの貧民窟は、そんな展覧会で溢れている。

絵のない絵の向こうに、描き手は存在しない。一人であること、孤独でいることは最も彫琢された個性の結晶であるようにみえて、実はまったくの空虚である。孤独人にできることは、せいぜい指輪ケースに濃紺のベロア生地を巻きつけて、ない中身をいかにも貴重品であるかのごとく隠すそぶりだけである。偉そうな語り口の賢人、いつも沈痛な面持ちで世の中の不出来を嘆いてみせる道徳家、卑下という甘露を塗りたくり、自分で自分をしゃぶってばかりいる病人、「思考とは」「意識とは」という樹齢三千年の主題をティースプーンに一杯半の語彙と経験で掘り起こそうとする哲学者。ネット世界ですれ違うこうしたペテン師たちは、すべて一人であり、無人である。無人の住む家には不在票しか届かない。そこで無人は毎度ポストを開けて憤る。「私ほどの存在がいるというのに、どうして配達人は気付かないのか」そう言う口も歯も舌も、のども肺も声帯も、この家にはないことに、無人はとうとう気付かない。わたしにとって書くとは、言わずにいられず、言って言ったことにならない、そんな独り言に似ている。

と、ここまで前置きして初めて千円のシャープペンシルを買ったことが報告できる。新しい文房具を親にせがむとき、「これを買ったら何だかすごく勉強できそうな気がする」と不確かな霊感商法でもって騙しおおせたことはないだろうか。あるいは自分の買い物でも、早々とスピリチュアルカウンセラーに転身し、「この製品で人生が変わる……明日には恋人、来月昇進、年末ジャンボで一等賞……」と甘言を尽くして財布を開けた覚えは? 深刻そうな、もったいぶった手つきで長々と前口上を述べたのは、三人乗りのいかだを二枚編めるほど家にシャーペンがあるのに、いまさら不必要な一本を、しかも千円という、わたしにとって破格の一品を買い足すことに、相当の理由を用意せねばならなかったからである。結果なんとか自分を煙に巻けたと思う。

買ったのは、三菱鉛筆の「ピュアモルト」というシリーズで、ペン軸にオーク材を使った、ちょっと大人っぽい筆記具だ。握るほどに色合いが深まるというのが、ゴムやプラスチック製のペンと違って、かわいげがある。さらに紙とペン先が触れるたびに、かんこんかんこん、と小さな木琴を叩く音が聞こえて、いじらしい。重たいのが難点だ。ここまで書いてきて、手首のつけ根が釘に打たれたように痛む。しかし、この痛みも、考えれば儲けものだ。なぜって二千字と書いていないのに、もう五千字を書きつけたような疲労と達成感がある。これが人間工学に基づいたペンなら大変だ。五千字書いてもまだ二千字の疲れしか得られないとすれば、物足りず不安である。たいした仕事もしていないくせに、さも重労働をなしたという風に深くため息して恰好をつけるには、やはり重いペンが要る。

ふう。

 

広告を非表示にする