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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

東京で見てきたストリップショーの話

東京旅行の思い出

九月の頭から東京に旅行していた。これはその旅の記録である。全旅程を時系列にならべて仔細を添えていくほうが書くのも楽だし、あとで振り返ったときに発見があるのは、実はそうした無機質な情報の羅列の方だけれど、ブログを書く習慣がしばらく途絶え、自分の気持ちなり記憶なりを文章にするのがひどく億劫になっているから、横着して丸二日大小あわせて二十はある出来事のうち、たった一つをとりあげて書き記すことにしたい。実をいうと、帰ってきてから次第に弱まる記憶のなかで、今からとり出しても充分に思い出せそうなものが、この一つしかないのである。ストリップショーだ。

ストリップへの入口

雑居ビルの階段を上がった。壁に掛かる美女の写真パネルを横目に見ながら進むと、受付台が現れる。ガラスの向こうには、それまで頭に流れ込んできた女の甘い笑顔をこっぱみじんに打ち砕くような、おそろしく強面の六十代の係員がいて、こちらを不審な奴ではあるまいかと検分するような目でにらんでいる。任侠映画でもかなりの上役を演じてしかるべき気風、チンピラとか一構成員を役不足にする佇まい。僕は乾いたくちびるを舐めた。
「あのお、すいません」
「……」
座っている彼に下から見下ろされているような気分だ。
「大人一枚ください」
「……」
男は終始、口をたてにもよこにも一ミリたりとも動かさない。こちらの紙幣を受けとると、チケットとスタンプカード、番組プログラムの冊子を手際よく整えて差し出した。

ストリップ劇場と観客

入口でもぎりの男性にチケットを切ってもらう。右手にはバーカウンターがあって、恰幅のいい男性が二人、ビールを飲みながら談笑している。他愛ない会話もどこかきな臭い。左手には劇場の黒い扉が開いたまま固定されていて、うす暗いホールに赤い布張りの椅子の背がずらっと並んでいるのが見える。僕は中央からすこし左の位置に席をとった。

劇場は、シネコンの一番小さなシアタールームほどの大きさである。映画館と違うのは、スクリーンのある場所に舞台があって、そこから延長した花道がずどんと客席中央を貫いているところだ。花道は、立てば腰ぐらいの高さで、座るとかなり見上げることになる。円柱状に張り出した先端部は、床が回転する仕掛けになっている。今からここで裸の女性が踊るのかと思うと、その近さに観る前からドキドキした。「タレントの身体に触れることは絶対禁止です」という冊子の注意書きを読んだときは、まさか届くまいと思ったが、伸ばせば簡単に手が触れる位置に席が設けてある。当然、この回転台に近いところから席は埋まっていく。平日の昼下がり、観客は十五人程度であった。出張中のサラリーマン、お洒落な老紳士、スウェットにTシャツすがたの肉体労働者がいた。大半はお年寄りで、最前列を陣取っている。二十代と思える若者は、大きいリュックをとなりの座席に預けた学生らしき旅行者が一人だけだ。

ショーの構成

「本日はご来場いただき」
照明が落ちて可愛らしい女性の声でアナウンスが入る。文字にすれば「本日ゎ、ごぉ来場っ、いただき」という風に、文節を切って語尾を強める子供のようなたどたどしい話し方である。デビューして間もない子が、この前口上を担当しているらしく、緊張感と初々しさが伝わってくる。開演。照明がたかれ、きんきらに光ったカーテンが勢いよく跳ね上がると、舞台には豪華な衣装に身をつつんだ女性が五人、顔を伏せ、立つ姿。スピーカーから毛先が震えるほどの大音量でミュージックがかかると、ダンサーは笑みをつくった顔をぱっとあげて、一斉に動き出す。

ストリップショーの構成は、この服を着たまま――服を着たままという言い方は変だが――の踊りが終わったあと、二曲目に入っていよいよ服を脱ぎ、乳房が露わになった状態でしばらく踊ったら、今度は花道を進んで回転台に横たわり、下着を悩ましく外して、さらに際どいポーズを決めていくという流れになっている。今回の番組では同じことが主役をかえて計七回くり返される。

七人それぞれ年齢、見た目が異なるのは勿論のこと、踊りのテーマや曲が違っていて飽きない。一人はマイケル・ジャクソンのダンスナンバーで恰好よく舞えば、一人はディズニーアニメの主題歌で、ある人は流行りのJ-POPで踊る。醸成されるムードもダンスの性格も各人各様、いやらしさというより人間の肉体の美しさを感じさせる芸術的な舞踊から、行為の腰づかいをそのまま舞台上で再現してみせ、観客の毛穴からどっと汗を吹かせるような直情的な踊り。女が裸になって四肢をばたつかせる間に、つかのま見える局部を必死に目に焼き付けて、帰りの土産にするといった悪趣味な遊びを想像していたら、もっと奥深い世界がそこに開けていた。

ストリップという風俗

若さ、顔の良し悪し、胸の大きさなど、世間一般の女性の評価軸は、ステージの上ではことごとく用を成さない。肉体の魅力がそのままストリップの出来を左右しないのは、デビューしてから十年二十年とキャリアを積んできた踊り手と、ほんの二日前に初めて舞台に立った若手を比べてみるとよく分かる。新人は、疑いなく二十代前半という若さ、顔は中高、目は大きく切れ込んで、薄いくちびるが笑うと無邪気な八重歯が覗く。他校の男子が噂するような美貌である。ふつうそんな子がすぐそこで全裸になって寝そべっているだけで、体中の血がぼっと沸くような興奮を覚えてしかるべきところ、なぜか彼女より外見的魅力に乏しい四十代のベテラン選手の方につよく情欲を掻き立てられるのである。ストリップは見た目ではない。技術である。だからこそ現に二十年近く活躍し続ける人がいるのだ。客と演者が接触せず、そこに直接的なサービスのやりとりが起きないストリップは、歳をくって経験を積むことが唯一、仕事人の評価と逆行しない風俗営業のかたちではないかと思う。

ストリップ異空間

劇場に戻ろう。舞台上では踊り子が今まさに花道を抜け、回転台に着いた。床に膝をついて身体をのけ反らせ、なにものか求めるように腕を高くあげ、指先を空に絡ませる。無理な体勢を保つために筋肉がひきつって、身体がびくびくと震えているのがわかる。黄色と赤色のスポットライトが女優の生白い肌の上を這いまわり、関節のくぼみ、肉のふくらみのひとつひとつになまめかしい明暗を与えていく。薄いキャミソールのはためく隙間から、ちらっと見えた腰のあたり、臀部の二つの隆起が背筋に終着する平べったい三角の地形に、うっすらと汗の露が溜まっている。女は腰で結んだパンティの紐を指でつまんでするするほどくと、激しく動いても決して取れぬよう、片方の太ももにまた固く結いつける。ここからはダンスというよりポージングの連続だ。寝そべって開脚したり、四つん這いになってお尻を突き出したり、ことさら局部を強調する体位をとる。上下左右に吊るされた冷蔵庫みたいなスピーカーから音楽が炸裂するさなか、適度に手入れされた陰毛とその下に縮こまったラビアをくわえた女陰、果ては肛門に続く秘部の一直線が、台座の回転に合わせて角度を転じていく。女の表情に恥はなく、卑しさもなく、時間が来たら張り替わるポスターのように、淋しさ、切なさ、悦び、挑発が次々と現れては消える。ミラーボールの乱反射、はげしく明滅するカラーライトの狂乱を浴びても、男どもは心の動揺を隠して外づらを平静すぎる平静で装っている。肘掛けに肘をついて、あごに手をやり、口を真一文字に結んで、まるで牛の競りにでもやって来たような鑑識眼でもって女体を眺めている。僕の席からちょうど顔が見える位置に、経理部課長といった風体のいかにも神経質そうな五十代のサラリーマンがいた。こけた頬、突き出した鷲鼻に銀ぶちのメガネをのせている。表情はどこまでも厳めしく、口元に手をやって、みなと同じく評論家の気取りである。彼に娘があったなら、その子と同じような年端の踊り子が股をがばっと開いたまま台座で回転する最中、刻々と角度を変えていく女の股間が彼の目線と合致するその瞬間、赤と黄に光るメガネをそっと人差し指で押し上げる彼のすがたが見えた。ストリップ劇場はまことに奇妙な空間である。互いに誰とも知らない男達が集まって、一人の女の裸体を、乳首を、大陰唇を、まじめに見つめている。場外から眺めれば、ひどく滑稽な絵だ。女と男、裸体と着衣、個人と集団。あらゆる対立構造が、この世でもっとも崇高で、もっとも下劣なエロの一点で結びつき、エロの力で乗り越えられていく。

秘密の園

最後に感想を記しておきたい。今更馬鹿みたいなことだが、実際にそう感じたのだから素直に書かないと嘘になる。女体。というか女性は美しいものだとあらためて思った。興奮するより感動した。欲情するより羨望した。歴史の絵画に裸婦像が多いのも、なんだか分かる気がする。美の表現にこれ以上のモチーフはない。悲しいのは、それを絵に固定したとたん、ある種の死を迎えることだ。色あざやかな蝶が翅をピンで打たれて、乾燥剤と一緒に標本箱に収まっている。それは確かに綺麗だが、翔ぶすがたの華麗さには敵わない。ストリップ小屋とは、そんな蝶を囲い、舞わせ、舞いを彩る、人工の植物園なのだ。

 

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