おじさんもその愚痴さんぽに混ぜてくれないか?

公園のベンチで本を読んでいると、となりにやってきた小学女児の集団五人が目の前で恐ろしい遊びをし始めた。自分もその攻撃の対象になってしまうのではないかと気にするあまり、うかうかと読書などしていられず、読むふりをして必死に耳をそばだてる。

それは「愚痴さんぽ」という遊びだった。観察する限りで分かったことは次の通りだ。まず二人一組になって、頃合いの大きさの石を探す。見つけたらそれを地面に置く。あとは先攻後攻をじゃんけんで決めて、一方が石を蹴りだしたらゲームスタートだ。唯一のルールは、愚痴と名のあるとおり、誰かの悪口を叫んでから石を蹴飛ばさねばならないことである。交互に怒りを石にぶつけていき、公園を無事一周したら終了だ。勝ち負けはない。ペアを換えて再び石を探すところからやり直しだ。水色のファンシーなTシャツを着た子が、ピンクの紐を通した白地のスニーカーを振り上げて、小石を叩きつける。掛け声は、
「あのクソデブめえ!」

少女の可憐な姿から予想もつかない怒気と覇気のこもった声が出たので、思わず本を閉じてしまった。クソデブとは誰のことだろう? 同級生に肥満児のイヤな奴がいるのか。それともいじわるな中年太りの先生のことか。一発目がこの文句だと一周して戻ってくる頃には、狂気の域に達するのではないか。

「あの野郎、生きたまま皮を剥いでやりてえよ」
「そんなもの剥いでどうするんだ?」
「それをコンドームにして母親を犯してやるのさ」
(先日観た『極秘指令 ドッグ×ドッグ』という俗悪な映画にそんなセリフがあった)

女の子はおしゃべりを遊びにしている。同じ公園でも、グラウンドでサッカーや野球をして遊ぶ男の子と好対照である。自分の幼い頃を振り返っても、遊ぶ時には必ず手にボールなり、コントローラーがあって、純粋におしゃべりだけを楽しんだ覚えはない。話すことだけで遊べるようになったのはもう少し大人になってからだ。女性の話術というか社交性というものが、このようにして培われていくのだという場面を目の当たりにした。

冒頭で攻撃対象になるかもしれないと書いたのは、少女たちの口にする愚痴があまりに容赦なくて、一周するあいだに私の悪口が言われるのではないかと疑心にとらわれたからである。

「あのベンチにいる人、本を読んでいるふりしてじろじろ私たちのことを見てたわ。きっと変質者よ。夏になるとヘンな奴がいっぱい出てくるって先生が言ってたじゃない。それに見た? あの本のタイトル」
「女ざかり、でしょ」
「そう。あんなものをわざと見せつけるようにして読むのは、きっと私たちぐらいの年代の女を女ざかりと見ているという主張だわ」
「いやに大胆ね」
「大胆というか、バカなのよ。私たちの服装とか動きとか、ばれないように観察してたでしょ? 記憶しておいて後で何かいけないことに使うつもりだわ」
「大変。お巡りさんを呼ばなくちゃ」
「交番はこっち」

周回路をはずれたペアの間にそんなやりとりを想像していたら、高架道路を走ってパトカーが近づいてきた。

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