わて東京行こう思いまんねん

九月一日から一泊二日で東京へ旅行することになった。前から漠然としてあった行きたいという気持ちがついに形になった。一年前にも二泊の旅程で東京見物したのだけれど、その時は同伴者がいて、自分の行きたい場所に無理に付き合ってもらうのは悪いという遠慮から不完全燃焼に終わっていた。それでも国立近代美術館だけは、ぜったい面白いからと騙すようにして引っ張り込んだ。その人はゲイジツよりゲンジツを重んじるかなりの実際家で、優れた知力体力行動力の持ち主だけれども、絵画だけはどうしても文弱がやるものだという意識がつきまとうのか理解する気がひとつもなかった。私にしても理解はしていないが、一応鑑賞する楽しみは心得ているつもりだ。それがあの人は、展示物を一目みて、興味があって五秒、なくて二秒と観ずに、こうしている時間が惜しいとばかり、どんどん先に進んで行ってしまう。こちらはその跡を追うことに必死で、作品の第一印象をかろうじて頭に残すだけでブースからブースへと飛ぶように移動せねばならず、これは一人で来たほうが良かったと心底後悔したのである。今回の一人旅は国立近代美術館を訪ねる予定はないが、ほかの美術館、資料館をいくつかゆっくり回ろうと思っている。

父は祖母を連れて四国に登山へ。母は一人でアメリカに発った。家族が相次いで旅行に出かけたのが、私の旅のきっかけのひと撞きとなった。そう言うと、皆が行くから自分も、という消極的な動機に聞こえるけれど、前々から活火山のマグマのようにひっそり熱を溜めて膨張していたのである。直近だと、やはり井上ひさしの、浅草の芝居小屋に立つ芸人たちの生き様を描いた短編集『喜劇役者たち』を読んだのが大きい。浅草という町を歩いてみたくなったのである。もちろん書中で活写される昭和三十年代とはまるで雰囲気が違っているだろうけど、演芸場には行ってみるつもりだ。ストリップ劇場にも入ってみたい。ちょうど到着する日に、井上ひさし作の『國語元年』という劇がこまつ座で初日を迎える、というのをさっき知った。チケットが手に入れば、これも観て帰る。

旅を前に二三の懸念事項がある。大阪の倍も複雑な路線図がまったく読み解けないとか、威張っても田んぼの臭いが抜けないところが都会の詐欺師暴漢の恰好の餌食になるとか、そういうんでない。そもそも出発できるかどうかが危ういのだ。直前になってネットで予約したから、チケットの郵送がちゃんと間に合うかどうか分からない。メールを見たら、本日の午後九時に無事送り出したという連絡があった。あと二日あれば何とかなってくれるだろう。困るのは、いつ来るか分からないことだ。奥歯が欠けて銀歯が抜けたのに、おちおち歯医者にもかかれない。家を留守にしているあいだに郵便が来て受け取れなかったら、計画はパア、金は霧と化してプアである。東京の友人を食事に誘ったらその日に限って無理という。歯列から何からすべてが噛み合っていない。せめて天気だけは、と予報をみると、傘マークがびっしりだ。

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