融けないアイスは醜い

左手には丸谷才一『女ざかり』の文庫本を、右手には買ったばかりの冷え冷えになったアイスクリームを持って公園に入った。午後三時、最近はずいぶんと気温が落ち着いて、過ごしやすい。園内には、将棋を指す呑んだくれのご老人がた、マウンテンバイクを駆るちびっ子暴走族、走り幅跳びでも垂直跳びでもなく、ひたすら立ち幅跳びの練習に打ち込むスポーツマンの姿があった。

老人は余生のひまをアルコールと昔話でまぎらわせる。子どもたちは夏休み最後のあがきとばかりに遊びまわる。その中で真剣に陸上競技の一種目に懸けるこの男はプロかもしれないと思った。しかし、こげ茶のよれたシャツに紺色のジャージという格好は、ほんの五分前まで家の居間で立て膝をしてカップラーメンをすすっていたと言われても疑いようがない。体つきも競技者のような引き締まったものではなく、筋肉のかたちが浮いて見えない。四肢には太い脂肪の筒が通してある。一体彼を立ち幅跳びへと駆り立てるものは何だろうか。

ベンチに腰掛けて、アイスを開けた。三分前に冷凍ケースから取り出したばかりなのに、スプーンを入れると訳なく底を突いてしまう程やわらかくなっている。せめて液体化の遅れたアイスの固いところを口の中で融かせたいと思って、掌の温かさが伝わらないようにカップを指先で支えながら、よく味わう暇なく次から次へ中身を口に運んだ。ひと段落ついた頃には全部食べ切ってしまっている。歯のうらに残った冷気と舌のうえにほんのり香るバニラの風味がいとおしい。

かつてゲーテがしゃれた事を言った。

「何ゆえ、私は移ろいやすいのです?
おおジュピタアよ」と、美がたずねた。
「移ろいやすいものだけを
美しくしたのだ」と、神は答えた。

美しいものがかよわいのではない。そっと触れて壊してしまいそうなもの。はかなくて破れてしまいそうなもの。すこし目を離したすきに姿を変じてまた二度と同じ仕草を見せないもの。これが美しいのである。何だか分かったような分からないような、いじわるな言葉あそびに付き合わされている気になるけれど、これをアイスに置き換えてみるとたちまち理解できる。

「何ゆえ、私は移ろいやすいのです?」
美味なるアイスは神に問うた。神は、アイスが口をきくことに虚を突かれて一瞬ぎくりと身体をこわばらせたが、全知全能たる彼にはいかなる不慮不測の事態もあってはならぬことを思い出して、咳払いひとつで場を仕切り直すと
「むろん。移ろいやすいものだけを美味しくしたのだ」と答えた。

アイスは刻一刻と融けていくところに美しい味が宿る。あらかた融けだして底にどろどろと滞留するもの、反対にかちこちに固まって石のようになったものは見て思わず目を背けたくなるほど醜悪である。パッケージは中身を保護するためにあるのではない。ジュピタアに言わせると、その醜いすがたから目を守るためにあるのだ。

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