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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

ストリップ劇場でうまれた作家・井上ひさし

 

おばかさんぶるやり方をとるコメディアンも、客に毒づくタイプのコメディアンと同じように、日本では出世しない。

 

井上ひさし上智大学の学生時代、浅草のストリップ小屋で進行役のアルバイトをしていた。小さな劇場であったため従業員は少なく、進行役が舞台のほとんどの雑用を一手に引き受けていた。緞帳のあげさげ、マイクの出し入れ、道具類の設置回収、効果音の挿入、台本の印刷製本、日程作成、舞台清掃、競馬好きの役者に代わり馬券を購入すること。「三千円の月給でよくこんなにも働いたものだと感心するけれど、むろんこれで浅草のストリップ小屋における文芸部進行係の全仕事を網羅し尽したわけではない」というから、その業務内容は雑然を極めている。肩書き上は進行係であるが、実質それは裏方のなんでも屋といった仕事であった。

井上ひさしという作家にとって、こうしたストリップ劇場でのアルバイトは、その後の創作活動の方向を決定づける核となり原点となった。彼の小説随所に見られる、いかにも劇らしい演出のしかた、物語を運ぶテンポと方法のみなもとは、過酷な労働環境に求められる。手抜き癖のある台本作家が毎回寄こす穴だらけ、というより登場人物と舞台背景しか決まっていない枠のみの真っ白な脚本を埋めるべく、井上青年は、開演までの残り少ない時間のなかで、ドラマの筋を考えセリフを起こし、一つの物語を仕上げていたのである。もちろん、ストリップ劇場にやってきたお客さんの楽しみは、精緻につくりあげられた舞台劇ではなくて、暴漢におそわれたストリップ嬢が裸体をあらわにし淫らにあえぐ姿であるため、ことさら作劇に力を入れなくともよく、だからこそアルバイトにさえ務まる仕事だったのだが、とはいえ一つのドラマの脚本を書き上げるという仕事が彼に戯曲家、小説家として成功する力の基礎を与えたことに疑いはない。アルバイトとしては最低な現場であったが、将来の作家にとってはまことに幸福な環境であった。

人を笑わせることを生業にしている人間の、舞台上では見えない、テレビモニタに決して映らない悲哀を容赦なくとらえた作品が『喜劇役者たち』(講談社文庫)である。相手のセリフを喰ってすこしでも目立ってやろうとする役者たちの争い、衝突。売れている芸人への嫉妬、こきおろし。楽屋に出入りするのは、元受刑者、精神病者、事件の容疑者といった、ひと癖ある連中ばかり。ストリップ小屋から大劇場、そしてテレビへと出世街道を突っ走る芸人と、そうでない、ずっと小劇場でくすぶり続ける芸人との違いはどこにあるのか? こうした舞台裏で展開される血なまぐさく、いやらしいドラマを最前列で見続けたのが学生時代の井上ひさしだった。

この本は事実に即した回想録ではなく、フィクションである。真実として読めば、一級の映画なみにオチがつく、出来すぎた筋書きに戸惑ってしまう。いったいどこまでがホントで、どこからがウソなのか判然としない。しかし、すべて事実とも創作とも言い切れないところが妙なのだ。というより、木刀の身に真剣の切れ味を感ずるが如きあやしさ、媚態のうちに真意を探るたわむれこそ、ストリップ小屋の雰囲気そのものではないだろうか。楽屋がおもて舞台に反転し、喜劇役者は悲劇役者へと様変わり、笑うものは涙し、嘆くものがほくそ笑む、常人は気狂いへ、極悪人は聖人へ、夢は打ち破れ、絶望の底に花が咲く。これは舞台の仕組みを熟知した進行係にしかつくれない、現実という名の劇をかける一大装置なのである。

 

 

喜劇役者たち (講談社文庫)

喜劇役者たち (講談社文庫)

 
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