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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

「書き込みのある中古本、買いたい?」のはなし

Amazonで買った中古本。「若干、全体的に日焼けがあります。他は問題ありません」っていうから安心してました。開けてびっくり、中にびっしり赤線が引かれているじゃありませんか。正直、やられたと思いましたよ。ぼくにとっては、表紙・ページの焼けより、中身の書き込みの有無のほうが問題なんです。

むかし、1円で売りに出されていた本を買ったとき、とんでもない本が届きました。商品説明には「使用感あります」とだけ記されていたのですが、水濡れして乾いたフヤフヤの本だったのです。いったいどこで使用したのでしょうか! 表紙をめくってみると、雨漏りする家の天井にあるような、水あとの波紋がくっきり残っていました。ぼくはお風呂場で本を読みますが、こんな風にはなりません。きっと飲み物でもこぼしたか、開けっ放しの窓から雨水に打たれたか、長年付き合ったひとに裏切られた女がとまらぬ涙をぬぐったか、いずれかでしょう。

もちろん文句を言ってやりたい気持ちはありましたが、タダみたいな値段だったし、中身が読めりゃいいかと思って諦めました。その本は、悲惨な水難事故に遭っていましたが、中身はいたって綺麗なものでした。一行も書き込みがありません。新品本への書き込みはとても緊張します。おろしたてのノートの1ページ目みたいなものです。その点、この本は初めからタフに「使用」された跡があるので、ぼくがいまさらどんな汚し方をしても大丈夫だ、という頼もしさがありました。ぼくは、中身さえ綺麗であれば、水没していたって構わないのです(そりゃ5000円払って、ふやけた本を渡されたら、販売者を拉致して、鼻の横にそら豆大のホクロを縫いつけてやります)。

書き込みがある本でも許せる場合があります。たとえば、大学図書館にある本です。ぼくは、書き込みとアンダーラインだらけの本を好んで借りていました。これまでの借り手がどんな部分で迷い、なにを考えたのか、苦労のあとが残っているからです。学術書は簡単に読ませてくれません。もともと頭のいい人が、さらに頭の回る人たちの知恵を借りて作り上げた、とてつもない大山です。単独登頂は、かなりの体力と備えが求められます。足腰に自信がないなら、これまでの登山者が切り拓いてきたルートをたどったほうが、あきらかに賢明です。各所に張られたザイル、撃ち込まれたハーケンを手がかりにして登るのです。登攀路が過酷であるほど、とちゅうで出くわす死体の数も増えます。アンダーラインは、各自の到達ラインを示しています。あっ、赤の人が3章からぱったり姿を見せなくなった、黄色は5章まで頑張って力尽きた、というのが分かります。偉大な先人の中には、欄外に小まとめを残す者がいます。これが役に立つのです。彼らの恩恵にあずかった分、ぼくは自分のために、そして後続隊のために、ややこしい部分を図表に起こして、書き残したりしていました(本は大切にしましょう)。

書き込みは使えます。しかし、それはかつての読書人が、読み巧者である場合に限られます。市販の書き込み中古本をなるべく避けたい理由は、たった1人の読み手が好き勝手に読んだものであることが多く、記入の質にばらつきがあるからです。大学図書館の場合、学生は優れた読書人とは言えませんが、数の利があります。皆が少々ポイントを外して読んだとしても、その書き込み・ラインの集積が、いずれ安定した質へと転化するのです。事前に中身を確認できればよいのですが、店頭と違ってネットでは、それができません。だから余計に、書き込みがあるかどうかが重大になってくるのです。「若干、書き込みあります」と添えると、ぱったり売れなくなるから、書きたくないという気持ちも分かります。でも「前人の記述豊富、正確無比」ならば、ぼくはむしろ買ってみたくなります。

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