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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

「ジジイに抱かれかけた」のはなし

この前、はじめて川上未映子の本に触れた。そのとき、「いかにも女性的な文章だな」と感じた。女性らしいテーマの扱い方だとか、事物への着目のしかたを言うのではなくて、単に文章の長短のことを言っている。ジャーナリスト・立花隆が、そんな文体のはなしをしていた。

ひとの書く文章は、男性的文体と女性的文体に分かれる。「前者はセンテンスの積み重ねで簡潔かつ明晰に語らんとし、後者は長い長いセンテンスで、綿々嫋々(めんめんじょうじょう)と語っていく*1」ひとの筋肉に速筋と遅筋があるように、文章にも最大瞬発力を生かして短距離を駆けるものがあれば、饒舌でしなやかに長距離を走るものがある。

おもしろいのは、ここからである。人がしばしば自分に欠けたものを求めるように、男性的文体を持つ人は女性的文章を好んで読む、逆もまた然り、と言うのだ。どうだろう。ちょっと当たっている。読むなら長い文章がわくわくする。「、」を省き、「。」も打たないで書かれた筒井康隆の実験小説を読んで、異様な興奮を覚えた。じぶんでも真似して書いて、馬鹿みたいに読みづらい日記をmixiにあげて、友達から「なにかあったの?」と心配のコメントを多数頂戴した。どうみても病人が書いたものだった。長くて読みやすく、そして面白いものを書くには、ことばの呼吸を巧みにする天与の才がいると思って、やめた。じぶんには書けないから、女性的な文体にあこがれる。

書く文章は読む文章の好みと相反する。それだけではなくて、その人のパーソナリティとも陰陽の関係にある、というのが持論だ。これはあくまで、自分を例にした話に過ぎないから、一般化して各所に当てはめることは勿論できない。文体のはなしは不毛だ。しかしどうせ不毛なら、でたらめにやるのがおもしろい。男性的文体を持つ人は中身が女らしく、反対に女性的文章で書く人は精神的に男らしいと言いたいのだ。

「おい兄ちゃん、こっちおいで」
スーパーの前で、老人に声をかけられた。油染みでだんだらになった帽子をかぶり、寝巻みたいな服はところどころ汚れ、破れていた。空になったままのワンカップ大関を握りしめている。酒飲みのホームレスだ。無視せよ、という命令がでた。それより、なにか面白いことが起こるかもしれない、という好奇心が勝った。隣にすわって話をした。

中学卒業後に三重で漁師をしていたこと、大阪に出てきて鉄骨の溶接や廃品回収をして生計を立てていたこと、もう仕事を辞めて毎日酒を飲みながらあたりをうろつきまわっていること、そしてちゃんと家があること。聞くと、なんでも答えてくれた。75歳と言ったが、30代の女を妻にしているという。「え、どうやって落としたんですか」と訊くと、「あいつはちょっと頭が悪い」と言ってそれ以上は教えてくれなかった。遺産を当てにできないのに、どうしてこんな年寄りと結婚する気になったのか不思議でならなかった。ただ彼は若々しかった。年齢を言われるまで、60になったばかりかと勘違いしていた。ひとみは黒々しい。髪も薄いどころか濃いほどで、白髪にも張りがあった。そしてなによりイケメンだった。若妻はこの顔に惚れたんだ、と思った。話の最中に、やたらこちらの膝、肩、腕を触る。ぽんと叩いたり、ぐっと指で押したり、撫ぜたりする。髪の話題のときは髪にも触った。ふしぎと不快でない。世渡りのなかで、こうした懐柔のすべを自然と身に着けたのだろう。このコミュニケーション能力が、30歳下の嫁をもらう鍵だと思った。
「いやあ、モテたでしょう?」と訊いた。
おじさんは目線を外して遠くを見た。
「おれは今まで女に惚れたことがない」と言った。意味深だ。女が勝手に惚れる、という意味か? 違う。「おれが映画監督だったら、君を使って映画を撮りたいな」と言った。それに執拗なボディタッチ。これまでの言動を総合すれば、男に惚れてきた、という解釈にも信憑性がある。
「今ちょうど嫁がいない。よかったら家に来ないか」と言う。やっぱりだ。おれは口説かれている。そして今、70歳のジジイに抱かれかけている。そう思うと笑えてきた。忙しいからと言ってむげに断ると、住所を書きつけた紙を寄こして「今月中に必ず来るように、待っているから」と念を押した。

お前はホモ受けする、とよく言われる。まさかとは思うが、この時ばかりは否定できなかった。なよなよした外面的な部分を含めて、内面もまた女性らしい部分があるのかもしれない。思い返せば、幼稚園のお遊戯会でこんなことがあった。園児はみな王子様か、お姫様を選んで人形をつくるのだが、男でただ一人「お姫様やる」と言って手をあげた。それにつられて男子が10人ほどお姫様の人形を手繰るという、教諭が言うに「前代未聞」の事件が起きた。自分では、みんなを驚かしてやろうと思って姫に立候補したつもりだ。しかし、根底にある女性的な意識がそうさせたのかもしれない。

 

 


*1 立花隆『知のソフトウェア』講談社現代新書 p.202

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