「川端康成文学館に行ってきた」のはなし

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意外な先客がいた。小学生である。団体ではない。女の子ひとり、男の子ふたり。ふらっと遊びに来たようだ。親の姿はどこにもない。どうしてこんなところに来たのだろう。文学少年か? それだとまずい。質問でもされたら、こちらが川端康成の作品をあんまり読まずに資料館を訪れていることがバレてしまう。少年の声がした。

「ぼくはね、あの『片腕』という作品あるやろ。そう、片腕とりかえっこする変な短篇。あれ好きやねん。女の子で、髪をピンで留めたまま寝る子がでてくるの覚えてる? 頭にピンがちくりと刺さって『いたいっ。』と声だす子。それで出血しよんねんな。あれ読んだときに、破瓜の一瞬をあない表現するかと思ってびっくりしたわ」
「せやけど君、ピンみたいな細いもんに代わりは務まらんで」
「ふたりとも何言うてんの。女の子の側から言わしてもらいますけどね、喪失いうのんは……」

一団をやりすごして展示ブースに入った。


川端康成は中学を卒業するまで大阪の茨木市にいた。だからここに文学館が建てられた。資料も、とくに幼少期のものを集めてある。

つたない字で「カワバタヤスナリ」と落書きした紙が展示してあった。幼少期にだれもがするようないたずら書きである。教科書に載る、いかにも作家らしい川端康成の像しか知らないから、こうした一面を見て、ほっこりとした。

中学時代の成績表があった。旧漢字でものすごい数の教科が書かれてある。「修身」という科目がいちばん上にあった。調べてみると、今でいう「道徳」みたいなものらしい。「どんなに学科の成績が良くても、修身の点が悪ければ一流校に進学できなかった」という。もちろん卒業して一流の高校に進んでいるのだから、高得点に違いないが、あまり注目して見なかった。国語の成績に気をとられた。英語のほうがテストの点が良く、なんだかおもしろかった。

13歳かそこらで書いた、恩師への手紙がある。毛筆でびっしり書かれた文言は、とてもにきび面の少年が書いたものとは思えなかった。「淑気満つ初春の候」みたいな時候のあいさつから始まって、つらつらと近況報告が文語調で続く。何回か目を通したが、難しくて読めなかった。先生に手紙を書くという関係がそもそも素敵だ。中二の頃なんて、「先生を敬う」とは真逆のギアが入っている。教室の入口にしかけた画鋲が先生の靴裏にみごとに刺さり、歩くたびにカチャカチャ音を立てるのを聞いて、にやにや笑う年頃である。

小説にせよ手紙にせよ、原稿を見るのは楽しい。字のとめはね、筆勢、文章の修正のあとに、作家の意識のながれや感情を読むことができる。こうした情報は、活字になると失われてしまう。展示室で『眠れる美女』の原稿をみた。初めのページだ。冒頭の一文、書き出しの筆さばきに異様な迫力がこもっていて、怖かった。

恋文や手紙を集めて本にされたり、紙片にちょっと残した落書きも大切に保管されて、幼年期の作文や成績表まで展示されるのだから、文豪はたいへんだ。これが現代の作家なら、どうなるのだろうと思った。ケースの向こうに、「愛用の品々」といってキーボードやディスプレイが並んでいるところを想像して、おかしかった。

 

川端康成文学館/茨木市ホームページ


参考
僕が学んだ8年間の修身の成績 - 「老人タイムス」私説

修身教育の復活・重視を

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