「カルピスと鉄の味」のはなし

大人になってからカルピスを飲む量が増えた。

原液をうすめて作る。魔法瓶のコップに氷を5つ6つ入れて、原液を垂らす。カチカチと氷に亀裂が入る音を聞いてから、炭酸のミネラルウォーターをそそいで完成だ。スプーンをつかって混ぜたりしない。上部の水っぽいところを飲んで、まずは貧乏くさいカルピスを味わう。ほとんど水の味しかしない。みじめな思いをしながら飲み進めると、甘味が増してくる。やっと中流家庭の味だ。さらに飲めば、頭がくらくらするほど甘くなる。こうなるともはや舌にあわない。いくら資産家でもこんなに濃くして飲まないだろうという点にきたら、しばらくコップを回して氷が溶けるのを待つ。この最後のひと口をつくりあげる時空間がなにより甘美だ。

「うすめて作る際は金属以外の容器をご使用ください。」
カルピスのボトル背面に大きな赤文字の注意書きがしてある。早く飲め、冷蔵庫に入れろなどの注意はあるが、赤く印字されてあるのは、この一文と、本製品はうすめて飲む商品であるという強調しかない。つまり、「原液であること」と「非金属の容器を使うこと」は同じぐらい大事なのである。しかし、どうして金属はだめなのか。

「かき混ぜたら、うちのステンレスマグの底に傷がついた。どうしてくれる」とクレーマーが騒いだのかもしれない。おかしなことを言う奴はどこにでもいる。いちおう道理が通っているから、これはまだマシな文句だ。「石窯で焼いたパンとありますが、この石窯ってアスベストのことですよね?」とメーカーに問い合わせる人もいるのだから恐ろしい。これは私の母である。

ずっと金属器をつかって飲んできた。いまさらクレーマー説で納得するには、問題が深すぎる。飲みかけのコップを台所に捨て置いて、謎を追った。公式ページに回答があった。カルピスに含まれる乳酸、クエン酸が金属と反応して、鉄やサビが微かにとけだし、風味が損なわれるから金属器を使うなというのだ。これを読んだ途端、口に残るカルピスの風味がみるみるうちに鉄の味に変わった。鼻血がのどを伝って口のなかにうすく広がったような味がするのだ。そんな気がするのではない。ほんとうに味がするのである。これには参った。もう鉄が溶けだすとしか思えず、お気に入りの魔法瓶マグを使えなくなった。

人間がいかに暗示に弱いか痛感した。着色料や香料はこの逆をやっているわけである。金属が溶け出すと言われて鉄の味がしたように、見た目や香りをうまく調整することで、あたかも味がするように錯覚させるのだ。カキ氷のシロップがどれも同じ味というのは有名な話である。暗示のちからは、味覚のみならず人間の感覚を簡単に変えてしまう。

初老の心理学者が教壇に立った。彼はペットボトルをつかんで学生に見せ、「これを私の手から奪い取ろうとしてごらん」と言う。呼ばれた学生は必死にもぎ取ろうとするが失敗する。彼はこんど「奪い取ろうとするのではなく、奪い取れ」と指示をだす。すると学生はみごとに奪取する。これはことばの暗示だ。「~してみる(try)」という些細なことばの使用法が、人の行動のありかたを大きく変えてしまうのである。*1

見たり聞いたり触れたりするものの中に、ほんとうに「鉄の味がする」ものが一体どれほどあるだろう。私たちが信じて疑わないじぶんの感覚は、そこに書きつけてある注意の一文によって生み出されているだけかもしれない。

 

*1 デイヴィッド・ケリー, トム・ケリー『クリエイティブ・マインドセット』日経BP社, 第4章から.