「コーヒーと煙草」のはなし

スーツケースを転がす人が増えた。夏休みだ。みんなどこへ行くのだろう。あるいはどこからやってきたのか。

幼い頃はコーヒーなんて飲めなかった。あんな苦いものを飲む大人はどうかしていると思った。それがいつからか好んで飲むようになった。タバコを吸い始めた時からだ。

父はタバコを吸う。それを受けて母は嫌煙家になった。しきりに「タバコはとても悪いもの」と教えこまれた。そのせいか、中高で不良らしい振る舞いにあこがれたときも、決して手を出す気はしなかった。巻き紙を指にはさんで、初めてひと吸いやったのは、大学の夏休みに友人連中と徳島へ泊まりに行ったときだ。仲間の大半が喫煙者だった。夕刻、ログハウスのテラスから眼下にたそがれる赤い森林を見ながら、「どうだお前もやってみないか」と誘われたのである。吸うぞ、吸ってやると思った。花壇に植わった母の教えは枯れ、「お父さん、もうタバコすわないで」というポスターを作って冷蔵庫に張りだした思い出も散った。「まずは口のなかに煙をためて、つぎに息を吸うようにして呑みこめ」という教えそのままにマールボロのメンソールを肺に入れた。うまいまずいの判断はつかない。異物の侵入にただただ喉がおびえて息が詰まり、むせ返った。吸う前から盛んに宣伝された甘美なニコチンの作用もよく分からない。吸うたび先が黄色く燃えるタバコを見るだけで満足だった。

タバコにはコーヒーが合うという知識を吹き込まれてから、一服するたびに缶コーヒーを飲むようになった。どちらも旨くない。旨くないと思いながらも吸いつづけ飲みつづけ、あっと気付いたときにはもう立派な中毒者になっていた。講義のあいだ10分の休憩をすべてニコチンとカフェインの摂りこみに充てた。ノートをぎりぎり確保できる程度にうすく塗り重ねられる大学特有の友人関係というものに飽きていたから、クラスメイトと話すより、外に出て一服していたほうが快かった。デザインの凝った灰皿を何枚も買い集めた。交際していた女性からはZIPPOライターを頂いた。喫煙者として生きる用意が整った。

金のかかること、息苦しいこと、けむりの臭いが服や身体について離れないこと、吸う場所がなくて肩身のせまい思いをすること、若い奴がぷかぷかふかしても格好がつかないこと。スモーカーになってみると、とたんにイヤな所ばかりが目についた。最後のひと啜りに缶コーヒーをぐいと傾けたら、いままでそれを灰皿に一服していたのをころっと忘れていて、灰まみれのコーヒーを口に含んだことがある。「肺がんになって死ぬぞ」と脅されても怖くないが、別の死に方もあると知ってほんとうに恐ろしくなった。なにかを我慢する苦しみを快に転じやすいマゾヒスティックな性癖が幸いしたのか、かるい気持ちで禁煙をはじめたら、これがすんなりうまくいって吸わなくなった。タバコはやめられても、コーヒーを断てる自信はない。コーヒー好きの愛煙家に、どちらかと一生離縁せよと迫れば、案外タバコを放棄する人が多いのではないか。

広告を非表示にする