「The Mentalist」のはなし

アメリカの刑事ドラマをよく観る。

筋書きはどれも同じだ。はじめに死体が見つかる。それから捜査が進展して、めでたく犯人逮捕で事件が閉じる。すべてこれである。あとはそれぞれのポイントにどんな要素を代入していくか――殺されたのは主婦か子どもか、犯人は夫か間男か、凶器はピストルか毒物か、動機は遺産か女をめぐる争いか――というバリエーションの問題にすぎない。

ストーリーは毎回おなじ軌跡を描くのに、どうして観てしまうのだろう。思うに、人の死がものがたりの起点に置かれるからである。平常、殺人という究極のアクションが起こったとき、私たちは「誰が」「何のために」を知らないと気味が悪い。テレビ報道で焦点になるのは、いつもこの犯人と動機のセットだ。とくに動機なき場合も「むしゃくしゃしてやった」という理由ならぬ理由をつけて、何とか納得したい。だから一度納得してしまえば、もはやニュースに衆目を留めておく力はない。おもしろいのは、捜査がじりじりと進んで、いかにもあやしい容疑者が浮かび上がっていながら、まだ犯人と断定するには証拠が足りないという状況である。目の前にニンジンを垂らされた馬のように、食うに食えない状況がわれわれを惹きつける。これが刑事ドラマの魅力だ。

なかでも『The Mentalist』はこの状況設定がうまい。殺人動機をもつ人間を複数登場させておいて、「だれがやったのか?」と視聴者を煽りながら、頃合いをみて彼らのうちから真犯人が見つかる、という素直な筋書きをしないのだ。冒頭にふらっと出てきて、ぎりぎり印象に残るか残らないかの演出がなされた、まったく捜査対象外の人物が犯人であるケースが多い。それは献身的な保安官であったり、心優しき知的障がい者(を装う人物)であったりする。期待で膨らみきった風船を、最後の最後、意外なつぶてで突いて破られる快感がある。

『The Mentalist』の特徴は、同じCBS制作のドラマ『CSI: Crime Scene Investigation』と比べるとよくわかる。CSIは科学的アプローチだ。日本のミステリー『科捜研の女』のように、ラボの実験器具をつかって現場に残された物的証拠を分析し、犯人にせまる。たいして『The Mentalist』は、DaiGoというメンタリストの活躍にみる通り、隠しても隠しがたい人間心理の揺れうごきを分析対象とする。容疑者をウソ発見器にかけるような不粋はおかさない。主人公ジェーンの鋭利な感性によって心的な証拠が固められていく。

科学的な手法で犯人を追いつめるのは、それで楽しい。しかし人間は、試験管にはいった物質のように素直ではない。とても非合理的で感情的だからこそ人を殺しさえするのである。こうした不安定な人的ファクターを、メンタリズムというこれまた不可解な方法論で解き明かしていくというのが、このドラマのおもしろさだ。

 

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