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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

「16,000字」のはなし

『COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)』という雑誌のなかに、アメリカのある哲学者のインタビューがあった。ものを書くことは彼女にとって修道院で生活するのと同じだという。本や論文の執筆時には毎日16,000字をノルマとして課す。インスピレーションが降りるのを待ったりはせず、目標をクリアするまでひたすら机にかじりつくのだ。

すごいと思った。小説家にも同じような姿勢で作品をつくる人がいる。公務員みたいに9-17時というタイムスジュールを守って執筆するのだ。結局なにかを書くという行為は、習慣化しないことには苦痛すぎてやっていかれないということだろう。

ところで、16,000字は日本語にしていくらか。英単語の平均字数(5.1)から単純に求めると3,137文字になる*1。これは原稿用紙8枚分だ。そう聞けば、はじめの万単位にくらべるとずいぶん大人しくみえる。しかし毎日書けといわれたら、つらい分量であることに変わりない。ネタが足りない、意欲が続かないというより、単に3,000字を書く時間がとれないだろう。この時間を用意する覚悟をもてるかどうかが、案外プロとそれ以外をわける分水嶺になるのかもしれない。

ためしに文豪の執筆時間をみよう。文学者・板坂元による調べだ。

「いちばんすさまじいのバルザックで、彼は毎日六時間から十二時間書いていたという。フローベールは七時間、コンラッドは八時間と伝えられている。モーム四時間、オルダス・ハックスレー五時間、ヘミングウェー六時間、こうなるとプライムタイムとか何とか関係なしに、プロは連日重労働をやっているわけだ。」*2

時間をたっぷりとれば彼らに負けない仕事ができるか。それはわからない。確かなことは、もともと才能のある人間が膨大な時間を投じてはじめて傑作が成立するということである。彼らを見習ってむやみに執筆時間を延ばすより、まずはデッドラインを用意することのほうが先だ。私たちはずっと夏休みの初日を過ごしている。初めからせっせと宿題をこなしている奴はバカにみえるし、自分ではなにもやる気がしない。だから、始業式前日という状況をむりに設定するのだ。新聞記事をスクラップして感想を添えるという夏休みの課題を、始業式当日の朝刊でやったことがある。あの時のクリエイティビティを故意に引きだせれば、なんだってやれる。

私たちは降霊術師だ。インスピレーションというあやしげなものを頼るからである。きっとすばらしいアイデアがやってくるだろうと思って待ちつづけ、待ちつづけて書かないまま一日を終える。往生際わるく、寝ている間だからこそ非凡なひらめきが得られるのだと言い聞かせて睡眠時のじぶんまで頼りにしだす。これは作家志望の人間、数学のテストを明日にひかえた文系人間によくあることだ。

絵描きは、あらかじめ頭に浮かんだ絵をそのままキャンバスに描き写す人ではない。絵具をつかって考える人だから、彼は絵描きなのだ。このような一節がアドラーの『本を読む本』のなかにある。物書きも同じように、ことばを書いて考えるから物書きなのだ。頭の中で物事を完結させようとする人間はよくて空想家か、わるくて祈祷師にしかなれない。

 

*1 お客様のための日英翻訳の豆知識 http://translation.harrington.jp/
*2 板坂元『続 考える技術・書く技術』講談社現代新書, p149.

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