おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

「絶食系」のはなし

食への関心が薄い。

ある錠剤が開発された。一錠のむだけで一日の栄養が足る薬だ。ふつうに三食摂るか、この薬剤を服するかの二者択一を迫られたら、迷いなく薬を選ぶ。たとえニガウリを煮詰めたような味がしても、決意はゆるがない。

「お前は食べることに興味があるのか」
友人との食事会で訊かれたときに、上のような応え方をした。すると友人は眉をひそめて「だからダメなんだよ」と突っ放した。食べていたカレーを指して「これはうまいか」と問うので、仕方なく頷いておいた。家で温める八十八円のレトルトに比べてさしたる違いがあるように思わないと告白すれば、また何を言われるかわからない。

おいしいものを食べようという気が弱いから、舌がいっこう肥えず、味覚に広さも深さもでない。グルメ番組で芸能人がウマいウマいとほおばるどんな料理をみても、同じものを口に入れて噛みきり胃に収めたいという欲が湧かない。こうした不感症がはじまったのは、大学受験に失敗して家で浪人生活を送るようになった時からだ。

一人前に将来への不安と山積する試験勉強の重圧をうけて精神的に参ってしまい、食べものがのどを通らなくなった。起きて意識のぼんやりしている隙に、ソーセージを一本詰め込んだら、もう後になにも食べられない。口に食べものを含んでいるという状態すら気味悪くて、咀嚼するあいだに心拍は速まり、汗がふき出して、吐き気がこみあげてくる。噛んだはいいが飲み込めなかったものを何度吐き出したか知れない。一日にわずかな固形物とカロリーメイトのゼリーを食べて暮らしていたら、すぐに身体のぐあいが悪くなった。微熱と腹痛が続いて夜は一睡もできない。

たまらず病院へ駈け込んでも、ストレスのせいと言われてしまうだけだった。いろいろ薬を処方されたが、一番効いたのは倫理の参考書だ。飢餓感にさいなまれながらベッドに伏して日夜哲学と宗教の項を読み耽るうちに自分のなかで凝り固まっていたものが少しずつほぐれてきた。嘘みたいな話だが、それから生気をとり戻したのである。ふだんの精神状態ならバカにして取り合わなかったような宗教実践のありさまが、妙にリアリティをもって迫り、救いを求める人間の気持ちがわかるような気がして、活動の意義をすんなり納得できた。

男女の交情を解さないのが不粋であるように、食への無理解もまた粋ではない。異性と交際しないのを格好つけて「絶食系」などと言う流行りがあるが、食えるのに食わないのと、食えないから食わないのでは間二光年の隔たりがあるわけで、前者の高潔な精神にくらべると後者の「食えず嫌い」はまことに愚かしい。おそらく私の食べものに対する無関心の気取りも、この羨望のねじれた表現ではなかろうか。飯をむさぼり喰う人間の意地汚さをなじるように禁欲的な構えをしているだけなのだ。ほんとうは自分で何をどのように誰と食べたらよいか分かっていないだけなのである。

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