おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

本をレゾる

「本をレゾりました」という一文で始まる読書ブログをみつけた。そのブログによると、レゾとは、レゾナンス・リーディングで本を読むことだという。なんだそれ?

レゾナンスとは共鳴だ。「本がもっている周波数と、共鳴することで本のエッセンスを取りだそうという読書法」らしい*1。いくら調べても具体的な手続きについての情報は出てこない。全貌を知るには38,000円の講習代金を用意しないといけない。参加者の撮影した講座のイントロダクションなら見ることができる。(執筆時は視聴できていました。現在は削除されています)

 

 

さて、これが良いとか悪いとかの価値判断はいったん置いといて、大金を払わずに、この読書法の存在じたいから私たち部外者はいったいなにを学べるだろうか。

ひとつは、インプットの質と量をいくら高めたところで、アウトプットが首尾よく成功するとは限らないという事実である。「レゾナンス・リーディング」という単語でググると、この技法を用いて書かれた読書感想文がいくつかヒットする。そのどれを見ても、この人はちゃんと読めているという感じが伝わってこない(いちばんの好例は、この読書法を開発した当人の書評ブログである*2)。

レゾナンス・リーダーのブログで面白いのは、本の概略なり要点なりを示すことよりも、その本をレゾナンス・リーディングで読みましたという技法じたいの強調に多くのスペースを割いている点だ。こうした手段と目的のとりちがえは、自己啓発系のメソッドにハマる人によく起こる。ほんらい読書法は、本をよりよく理解するための手段のひとつでしかないが、多くの実践者が、この読書法を試したいがために本を読むという主客転倒を起こしている。手先の技術にこだわりすぎると、行動の目的を見失うのである。現代文の参考書に「ところが」「しかし」「要するに」というキーワードをみつけたら三角印をつけよう、というアドバイスがある。この作業がそのまま本文の意味を掴むことになると思って安心していたら大やけどをする。バカ正直に文面を三角だらけにしていた人ならだれでも技法を過信する危うさというものについて無知ではあるまい。

レゾナンス(共鳴)するだけでは読書として片手落ちだ。ほとんどの人は、読書中「なるほど! わたしもそう思う」という箇所に注目する。その意味で、みんな大なり小なりレゾナンス・リーディングをしている。しかし注意すべきは、共感が、いまあるじぶんの意見の再強化にすぎないという点である。ほんとうは反感をいだく部分、認めればじぶんのなかで物議をかもす節にこそ勇んで取り組むべきなのである。客から寄せられるクレームが、商品とサービスの質を高める有効なマーケティングツールであるのと同じように、読書も抵抗ある一文にこそイノベーションの可能性がひそんでいる。外部から眺める限り、レゾナンス・リーディングは、批判的な精神を欠いたなかよし読書法だ。レゾられた本の感想文に迫力がない原因はここにある。共感を示すということ以外のアクションがないのだ。蜜月が長続きしないように、この技法には限界がみえる。ながく交際しようと思えば、やはりケンカの仕方も一方で学ばなければならない。

 


*1 レゾナンスリーディングを体験しました! 【最幸の人生の贈り方 vol.694】
http://blog.deepimpact.jp/2014/12/vol694.html

*2 READ 2 INNOVATE! 読書からイノベーションを起こす情報集!
http://www.read2innovate.com/

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