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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

口下手のおしゃべり

パックンの『ツカむ!話術』という本を読んだ。口下手をじぶんの気質だと思わないで、磨けば伸びるただのスキルだという意識を持て。というアドバイスには励まされた。人とコミュニケーションをとるのに及び腰になってしまっているときに、よく本書のスローガン「自覚、自信、自己主張」を頭のなかに大合唱する。

ぼくは口下手だ。つねづね人と書くように話がしたいと思っている。おしゃべりがしぜんに楽しめるようになったのはつい最近のこと。仲間と一緒にいても、ほとんど聞き役に回って、じぶんから話すということを極力しなかった。じぶんには面白い話をする自信がないし、話し始めて周囲の注目を集めたとたんに声が詰まってしまうのだ。

転換点となったのは、口頭のコミュニケーションなんてほとんど意味があって意味のないもの、気を抜いて話すぐらいがちょうどいいと気づいたことだ。高尚な哲学的テーマについて持論を戦わすわけでもないし、かるい話題があちこち移るにまかせて自分の感想をいっていれば、円滑に会話が進むというのがやっとわかったのである。口数が少ないと、そのぶん一回の発言にしめる評価のウェイトが重くなる。するとどんどん口を開くのが怖くなってしまう。だから、とにかくなにか言うことが秘訣なのだ。

話をするのがうまい人は文章を書くのが下手だという俗説がある。これは間違いだ。その人がテープレコーダーをつかって自分の語りを録音し、それを文字に起こせば、きっと面白いものができる。その文面はいくぶん口語的で、小説にあるようなレトリックが多用されることはないが、文章のうまさとは文学的修辞の多寡で決まるわけではなく、じぶんの伝えたいことが十全に伝わるかどうかなので、もったいぶった文語で文章を潤色するよりは、ヘルシーな口語表現をつかうほうが明らかによい。

話すことは書くことを推し進める燃料である。次の一行がどうしても進まないときは、書くという気持ちをいったんわきに置いて、声にだしてみる。すると案外らくに泥沼から足が抜けるものである。話すと書くでは初動にかかるパワーがちがう。なにかを声にしようと思えば、事前に内容を練っている暇などないから、次から次にことばを出すしかない。これを利用して、どんどん書き進めるのである。推敲はあとから一生涯、気のすむまでできる。書き始める前から完璧なものを書いてやろうという気がもっとも毒で、とにかく書いてしまってから徹底的に直してやろうと思うほうがずいぶんと楽な気持ちでいられるものだ。

 

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