「とにかく書けば文章はうまくなる」というのはウソだ

また凝りもせず文章術の記事を読んでしまった。

文章読本の名著90冊から抽出した『究極の文章術』と、わたしが強力にお薦めする2冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

この筆者によれば、とにかく書いて削るのが文章上達の方法だという。しかし、それでは何もアドバイスしていないのと同じだ。結局わたしたちは次のようなエンジンを回すしかない。「とにかく書け」→「どうやって書くの」→「とにかく書け」→「だから、どうやって書くの」→…。文章論が売れつづけるのは、この永久機関のおかげである。具体的なハウツー本が一方のニーズにこたえ、もう一方に応じるのは書き手の心がまえを説く心理作法の本である。両者あわせて文章力が前進しはじめれば問題ないのだが、実際はエンジンだけがもの悲しくうなり声をあげている場合が多い。

とにかく書いても文章はうまくならない。理屈からいえば、とにかく毎日更新してあるブログ記事の文面はとてつもなく上手くなっていい筈だが、そうでない例を見つけるのはたやすい。毎日カレーを作れと言われて、カレーを作りつづけたら、ニンジンを切ったりタマネギを炒ったりする手際はたしかによくなるが、だからといって肝心のカレーが旨くなるとは限らない。材料や調理法をあきたらずに模索すること。さらに言えば、レトルトでもとびきり高級の食器を用意できれば、人に美味しく感じさせることもできる。何より重大なのは、味見をする人間は自分しかいないということだ。だから料理人は、まず始めにじぶんの舌を確かなものにしなくてはならない。古今の文章読本が、書く秘訣ただ読むことに極まれりというのは、この意味である。

文章読本を読むのは、女にモテたいというとき、『モテる技術』を読むことと似ている。ほんとうはそんなものを読むより、おいしい店を紹介した雑誌をみるほうがよっぽど早い。文章も同じで、ひたすら文章論を読むのはやっぱりキモチワルイし、その隙に一級の詩や小説を知っている遊び人のほうが卒なくうまくなってしまうだろう。文章上達の契機は、文章上達オタクから脱却することにある。