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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

はじめからアンダーライン、太字で文を強調している本に言いたいこと

茂木健一郎の『頭は「本の読み方」で磨かれる』を読んだ。

内容はそのへんの読書啓蒙本にありがちなトピックの焼きなおしで、面白くもつまらなくもないのだが、気になったのは本の文章にはじめからアンダーラインを引いてあったり、語句をボールドにしてあったり、まるでブログ記事のような仕上がりになっていることだ。最近の新書、実用書にこれをやっている本が少なくない。読み進めるうちに読者がこなす作業を、本のほうで勝手に済ませているのである。

そんな本を見るたびに、それは私にやらせてくれよ!と思う。作者のお前が大事だと思うところと、読者の私が重要だと感じる箇所はとうぜん違ってくるだろうし、違っていて何が悪いのだろう。同じ本でも一回目と二回目の読みで引っかかる部分が変わってくるのに、どうしてはじめから本の側で「急所」を固定してくれるのか。

私がとくべつこの本にいらだちを覚えるのは、読書の楽しみかたをテーマにしているにもかかわらず、当の書籍がその文面で本をよむ感興を大いに削いでいる罪にある。おばけ屋敷に入ると、ちかちかした電光の矢印がすうっと壁から伸びていて、おばけが出てくることを事前に教えられたらどんな気持ちか。緊張はたちまちに失せ、まぶしい矢印のほかに見るべきものがなくなってしまう。暗がりを手さぐりに進むから、なにか見えぬものが見えたり、得がたいものが得られたりするのである。この無粋は著者の意図ではなく、編集者の余計な配慮のせいかもしれないが、「本の読み方」で頭を磨くという本が、その「読まれ方」に無頓着であるのは何だか可笑しい。