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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

「〜力」という本が無力なわけ

・はじめに

お買い上げありがとうございます。

本書は、ちまたにあふれる「○○力」という本の無力をあばき、これまで「○○力」に飛びついてきた読者に「○○力」本を買わない力を体得してもらって、ムダになるはずだったお金をまつげエクステやペットウェアの購入といった、もっと有意義な趣味に充ててもらうべく書かれています。

 

この本を手にしたということは、あなたは過去にきっと「○○力」本のパワーを信じて、ひどい目にあったという人ではありませんか。「なんだ、ちっとも役に立たないじゃないか」と怒りを覚えた人もいるかもしれません。私もその一人でした。

私は「力」とつくものなら何でも手あたり次第に買いもとめ、乱読し、あらゆる力を身につけようとしました。ところが何一つ得られた試しがありません。ある日、書店であたらしい「力」が発売されているのをみて、すぐさまレジに持って並びました。清算の段になって財布をひらいてみると、もう本を買うお金がありません。私は購買力を失っているのでした。

このままではまずい。今のわたしに必要なのは、『一生お金に困らない3つの力』(泉正人)、『お金に愛される誠意の力』(佐藤康行)です。お金がなくとも『借金力』(吉田猫次郎)で何とかなります。返済も『稼ぐ力』(大前研一)があれば心配いりません。こうして買うべき本のリストがどんどん膨らんでいき、最後にはいったい何を読むべきなのか分からなくなってしまいました。私には『考え抜く力』(伊藤真)、『一流の想像力』(高野登)といったものがなかったのです。いや待て、これは『考えない力』(佐藤法英)の成果ではないか、とも考えましたが、よくよく振り返るとこれは読んだことがありませんでした。

私はどうしてこれほど「力」本を買ってしまうのだろうと考えました。そこで気が付いたのです。わたしには「○○力」本を買わない力が徹底的に欠けているのだと。さっそく買わない力を身につける本を探したのですが、見つかりませんでした。もう私自身が書くしかない、そう決意しました。

本書を読んで私と同じように「力」不足に悩んでいる人が、すこしでも楽になれば、筆者としてほかに望むものはありません。私は「力」本を買わない力で、人生をハッピーにすることができました。あなたもこの力を使えば、人生をより豊かに、そしてより幸せなものにすることができます。

 

・みなぎるパワー

2007年の『鈍感力』(渡辺淳一)を皮切りに、『○○力』という本が次々とベストセラーになりました。2008年の『悩む力』(姜尚中)は、累計100万部を突破。2010年には『伝える力』(池上彰)がミリオンセラーになります。『聞く力』(阿川佐和子)は2012年の年間ベストセラーで、現在までに185万部を売り上げています。ここに挙げた「力」本の代表作を、読んだことあるという人は多いでしょう。

これらのヒット作にあやかって、あらゆる出版社から「○○力」が乱造されます。たとえば、部下力(吉田典生)、後輩力(入江慎也)、居酒屋力(武田邦彦)、女子校力(杉浦由美子)、空腹力(石原結實)、挫折力(富山和彦)、名前力(黒川伊保子)、子宮力(進純郎)、大便力(辨野義己)、臨終力(林望)。ここに挙げたものは、ほんの一例にすぎません。Amazonで「力」とつく本を検索すれば、万の単位のパワー書にあたります。どの力をつけるべきか、という選択にさえ『選ぶ力』(五木寛之)が求められる時代です。あきらかに『○○力』のパロディを自覚した書籍は、本書でいう「力」本ではありません。成長意欲のある賢明な読者であれば、じぶんが身につけたい真面目な力とそうでない力を見分けることはできるでしょう。『見抜く力』(平井伯昌)に自信のない方は、『本質を見抜く力』(養老孟司)をお読みください。

 

・「○○力」本の無力

さて、「○○力」本はどうして無力なのでしょうか。残念ながらその原因は本じたいにあるのではなく、私たち読者が「能力」というものについて大変な思い違いをしていることにあります。次のAmazonレビューをみてください。

「鈍感力」なるものをいかにして身につけるか、については、全くといっていいほど言及されていません。

『聞く力』という本のタイトルとその内容には大きな隔たりがあると思います。……生きる上で非常に重要で会得が難しいはずの「聞く力」をつけたい読者に向け、有益なノウハウを提供する本を書いているという意識はおそらく著者ご本人にも無いのではないでしょうか?

これらの失意は、本を読むことでその力を身につけることができる、という期待が裏切られるところから来ています。実は、この期待の背後にある能力観こそが私たちの「無能」の元凶なのです。

能力というものは、人間の経験と分けて考えることができません。言い換えると、経験のあるところにしか能力は生まれないのです。『話す力』(草野仁)を読むだけで「話す力」を得ようとするのが無謀なのは、そこに話す経験がひとつも含まれていないからです。その意味で、「○○力」を読んで身につく力があるとすれば、それは読書力だけということになります。この私たちの思いちがいを、アドラーは『本を読む本』のなかで的確に言い表しています。

技術の規則を知ることと、習慣を身につけることは同じではない。何かに熟練した人というのは、何かをしたり作ったりするための規則を知っている人ではなく、それをしたり作ったりする習慣が身についている人という意味である。p.62

読めば「○○力」がつく、とうたう著者はみなその道のプロフェッショナルです。彼らは毎日その技能を使う現場に身を置き、それを「習慣」にして、はじめて熟練者たりえているのです。一方わたしたちが、本を読むことで知ることができるのは、いわば彼らの「規則」だけです。効率よく経験を積むにはどうすればよいか、という知識は幸いにも得られます。ところが問題は、くりかえし経験を積むプロセスをすっとばして、この「規則」から能力を直接ひきだそうとする態度にあるのです。本を読むだけの経験なき能力獲得の試みは、とうぜん失敗に終わります。そこで力の本質に盲目な人びとは「なにも身につかなかった」と不満をこぼすわけです。この不能感を払拭するには、またべつの「力」が必要になってきます。このニーズをすばやく察知した「力」本のなかには、巧みなことばをつかって、読者の能力をすぐに開花させたり、高めたりすることを魔術的に保証するものがあります。

この本を2時間後に読み終わったとき、そして、「断ること」を能動的にはじめたその時から、あなたの生産性は何倍にも、何十倍にも向上するのです。p.27, 勝間和代断る力

セールストークははちみつより甘いものです。この魅力に抗えないという人は、買って読むのもいいでしょう。しかしながら、2時間の読書体験で得られるものは2時間の読書体験でしかない、ということを覚悟する必要があります。

私たちの能力観をもっとも先鋭的にとらえたのは、武田双雲無悩力』です。

ただ、新しい習慣、考え方、視点、言葉などをこの本からあなたの心身にダウンロードするだけです。それで、皆さんの中に「無悩力」というアプリがインストールされるのです。p.6

能力は、経験から切り離されて、読者が自由にダウンロードし、インストールできるものとして語られます。私たちはしばしば、ものに機能(function)を持たせることと、ひとが能力(ability)を持つことを混同しているようです。私たちの能力は、アプリのように「規則」を読み込んで即時にはたらくようなものではなく、継時的な行為の積み重ねのうえにはじめて現れるものです。能力というものの『本質をつかむ思考力』(小宮一慶)を欠いて、安直に「あなたに力を提供します」という本に出合ったら、まずは「継続は力なり」という『ことわざ力』(高桑哲男)をつかって距離をとることがいかにも大事です。

 

・おわりに

のんべんだらりと読書を続けていて、ある日とつぜん自分のなかに未知の能力が花ひらく、という認識はきわめて甘いものです。「○○力」にすがる人間は、成功者のささいな仕事術にとらわれるあまり、彼らの足元をよごす汗や血、反吐、大便のあとを見ようとはしません。もちろん、書き手の方でもそれを見せません。口が滑って、たくさん勉強したから成功した、毎日練習したからプロになれた、なんて本当のことを言ってしまうと本が売れなくなってしまいます。「○○力」の筆者と読者のあいだで取引されているのは、経験をバイパスして力のエッセンスに到達できるという幻想にほかなりません。すべての「○○力」本は、フィクションなのです。

 

脱力のすすめ―「おまかせ」で生きる幸せ論

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