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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

漢詩っておもしろいかも

梅田の紀伊國屋書店で平積みされてあった川合康三漢詩のレッスン』をなんの気なしに手にした。漢詩のことなんて高校生のとき以来、この日まで考えたこともない。というか当時でさえ、まともに勉強しなかった。幽霊のように音をたてずに移動するおばちゃん先生が、セロファン紙みたいな声帯でハラハラつぶやくために、漢詩漢文は、ひとを無気力の淵に叩きこむマントラであったということ以外憶えにない。

 


「岩波ジュニア新書ってなんだ、子ども用の本か」
なんてナメてかかったら飛び込んできた字句におどろいた。

江碧鳥愈白
山青花欲然
 川は碧(みどり)、その上を飛ぶ鳥はいっそう白い 
 山は青、そのなかに咲く花は燃えんばかりに赤い

とか、

白日依山盡
黄河入海流
 太陽は西の果ての山に寄り添って沈みゆく
 黄河は東の果ての海を目指して流れる

たった五文字の漢字からめきめきと立ち上がる自然の景色に、しばらくここが都会の書店で、すぐそばに汗臭い年寄りが二人いることを忘れた。美しい。漢詩ってこんなに美しい想像力で、世界を豊かにひろげているのか。1300年前に1人の中国人が野山を前にして詠んだ気持ちが、梅田でふらふらと時間をつぶす1人の男をとらえて共感を呼び起こしているという事実が信じられなかった。

本には、唐時代につくられた作品が15句収めてある。どうやら漢詩は唐のものが最高らしい。古典の授業で机の木目しか数えなかった私でも15句のうちほとんどが初見でない気がするから、きっとどれも歴史的名作にちがいない。ところで、収録数が少ないように思うけれども、それは紙幅のほとんどを詩の解説に充てているからで、この本の魅力というか一番のポイントは、この中学生にも分かりやすい説明にある。たとえば初めに掲げた杜甫の句(江碧~)は、

今春看又過
何日是帰年
 この春も見る見るまた過ぎゆく
 故郷に帰れるのはいつの日のことか

と続くが、これは次のように説明される。

外界は春の次節が巡ってきたら、春の営みをしっかり行っている。それに対して自分は(故郷に)帰りたいと思いながら帰れずにいる、みじめな存在だ。自然が春の景観をあざやかにあらわしていることは、杜甫に対していっそう自分のふがいなさを突きつけるものです。p.83(括弧内 筆者)

一歩踏み込んだ理解がかんたんな文章を読むだけで得られる。いままで漢詩がおもしろくなかったのは、格調の高さを優先するあまり、難解でまったく共感できない解説文が付されているところに原因があったと、この本を読んで気づいた。「詩仙」や「詩聖」と称せらる人たちに臆さず、むやみな神聖視をさけて、我々とおなじひとりの人間として扱い、ひとのもつ弱みや感情の流れをつぶさに追うことで、詩の温度を素肌に感じさせる解説はまこと見事というほかない。これが一般教養書として学生や社会人向けに書かれていたら、ここまでの近寄りやすさはなかっただろう。ジュニア新書あなどるなかれである。

 

漢詩のレッスン (岩波ジュニア新書)

漢詩のレッスン (岩波ジュニア新書)

 
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