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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

打たれた文字の世界で

ブログ記事の原稿を手書きしています。パソコンで一から書き始めるのは、余程時間のないときだけです。どうして今どき紙と鉛筆をつかって下書きをするのかというと、長時間モニタを見続けて作業すると目が痛くなってくるという実際の都合もありますが、筆記道具のアナログ/デジタルによって、書かれた文章に質的な差が生まれるように思うからです。詩人の谷川俊太郎は言います。

 

鉛筆で字を書くのと、キイで文字をたたきだすのとは、想像以上の違いがありそうで、しばらくはためらっていた。......ひらがなを漢字に変換するその僅かな後戻りないし中断も、書くエネルギーの流れを変える。……この新しい筆記具が依然とは違う文体をもたらすというのが、あながち嘘とも思えないのだ。 p.211-213

ネット上のほとんどのブログ記事は、キーボードで打ち込まれています。そこでてっとり早く読者にアピールするには、内容と構成と修辞にこだわって競うよりも、入力の方法じたいを変えたほうがいい。そんな発想にもとづいて私は手書きを選びました。

パソコンで文章を書いていると、切り貼りが簡単にできるせいで、かなり複雑な文が書けるという感覚があります。ワープロで書かれた文章の特徴を分析した細谷由里子は次のように推測します。

一文を生成するレベルでは、手書きの場合、長期記憶から検索した情報を作業記憶でほとんど処理するのに対し、ワードプロセッサの場合、一部の語句をディスプレイに外在化させることによって、作業記憶内に一時的に保持しておく量を節約することが可能になる p.44

ワープロを使って画面にことばを固定していけば、作業記憶のスペースが許す以上の、つまり自分が手書きできる限界を超えて文章が書けるのではないでしょうか。

区別する必要があるのは、もともと手書きしていける能力があってパソコンの機能を借りるだけなのか、それともパソコンの能力で文章が書けているだけなのか、の違いです。後者のばあい、自分がパソコンで書き上げる文章と、とっさに手書きでまとめなければならない時の文章の落差に驚くのではないでしょうか。紙の上でうまくいかない分、ディスプレイ上で気合を入れて書くようになると、どんどん意味が圧縮されて難しくなり、一読では自分しか理解できない独りよがりの悪文になりやすいかと思います。


 谷川俊太郎(2013) 「書くこと」, 高橋輝次編『書斎の宇宙――文学者の愛した机と文具たち』ちくま文庫, pp.210-215.
細谷由里子(2003). 「ワードプロセッサによる文章産出過程の特徴:手書きとの差異に着目して」, 人文科教育研究, (30), 33-47.

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