自意識過剰の読書は紙媒体でいこう

なぜ電車内で本を読んでる人は神々しく見えるのか? : 出版業界の今を伝えるWebマガジン KOTB[コトビー]
っていうオモシロ記事を読みました。 

昨日のブログで書いたような、電車内の読書人にありがちな心理、葛藤、自己演出がちょっと皮肉に考察されていて、痛快だった。不倫相手とのラインにふける中間管理職、一心不乱に画面をかきまわすパズドラ少年、インスタグラムにあげた必死の自撮りにいくつ「いいね!」がついたか確認しつづけるブス大生。そんなスマホ族を尻目にカバンからすっと文庫本をとりだしてひとり鼻高々とする自分に覚えあり、という人はきっとこの記事を読んで苦笑いしかできないんじゃないかな。

カバーをつけずに読むなら、「有斐閣講談社学術文庫岩波文庫あたりが良い」ってアドバイスは、とても的確で参考になるね。紙が茶けてカビまで吹いた岩波文庫を、眉間にしわ寄せてながめれば、もう学者の気風さえ漂いはじめる。さすがに岩波文庫はベタで、下心が見え見えです(20代・OL)なんて意見がでてくるのは当然で、それを気にする人は、岩波現代文庫をチョイスするのも手だ。ちくま学芸文庫も手頃な難しめの本がそろってると思う。車内のおしゃれブックリーダーであり続けるためには、つねにアンテナを張って時代のトレンドに合わせた文庫チョイスで決めていきたい。

言われてみれば、スマホタブレットで電子ブックを読まずに、わざわざ紙の本なんか読んでる人のほうが「神々しい」までいかずとも、雰囲気あるように見えるのは不思議だ。となりでスマホいじってる白痴メンが、じつは科学雑誌の論文をPDFで読んでましたってことは全然ありえるわけだから、本っていうメディアを通してだけ高度な情報をとりこめるんだって思い込みは間違ってるのに。むしろ、その場でアンダーラインを引いたり、メモを書き込んだり、それをだれかに送ったり仲間と共有したり、が瞬時にできる電子版のほうが情報の取り扱いやすさは明らかに上で、知的生産の効率もくらべものにならない。

「効率がよくなれば内容が豊かになるの?」ってのはまた別問題で、この疑問に答えるには、「キーボードの発明で文学界に天才があふれたか?」って考えるのがヒントになる。原稿用紙や万年筆、インクを買わずとも、歴史の偉人に負けぬほどの超大作が書けるのだから、参入のハードルはものすごく下がってる。底辺が膨らむと、全体の質は悪くなる。情報の移動や加工がかつてないほどスピーディにできても、その処理のしかた、落としどころが悪ければ、結局はダメなのだ。近所の大型スーパーで、季節を問わずどんな肉・野菜・さかな、調味料でも簡単に手に入るのに、主婦の料理の腕前はたいして上がらない(少なくとも母をみた限りでは)。それと同じことだ。

本を読む人が「神々しい」のは、本というメディアが旧態の権威を帯びているからだ。むかしの偉い人間がみんなして利用してきた、というぶ厚い歴史が本にさす後光の正体だ。それが最近になって、新米メディアのスマホタブレットのえげつない人気によって、古参ペーパーブックの正統性がきわだって見えるようになっただけのこと。ちなみに難しめ=学術的な本を読むのがいいのは、学問というこれまたひとつの権威の象徴が本メディアの権威とおたがいに補強しあう関係にあるから。これが、激安風俗の体当たりレポート、絶対落とせるナンパ術、思いのままに相手を操る禁断の催眠術50だと、とたん都合が悪くなる。その意味で、電子ブックではそういう人目のあるなかで読みづらい内容のものをじゃんじゃん売り出すべきなのだ。

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