おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

『メイズ・ランナー』感想

※ネタバレあり

レイトショーで『メイズ・ランナー』鑑賞してきた。友人2人とシアターのとびらを開けて建物を出るまでのあいだ、お互いに腹の探り合いが続いた。「あれをおもしろいと思ってたらどうしよう。」そんな遠慮からみんな正直に感想を言わずにいるのだ。小学校から付き合いのつづく連中である。それぞれどんなことを思っているかなど、言わずともわかる。喫煙スペースに向かう途中一人がぼそりと口にした。「あかんやろあれ」

映画館を出たあとに鑑賞後特有のダルさ、ほわんとした感じが一切ない。ほんとにおれは映画を観たのか?というワケのわからない錯覚を起こす。友人が「ドラマでやれ」と言ったのは、的確な表現だと思う。かるーいのである。ドラマも人物も筋も、つじつまも、なにより肝心のメイズ(迷路)の難易度もぜんぶ、ゆるい。

この映画、主人公がメイズ(迷路)を解くと思っていたら大間違いである。じつは迷路はすでに仲間のアジア系アメリカ人、ミンホによって完ッ全に把握されている。トライ&エラーをくりかえして、主人公が迷路を全体像を少しずつ構築していく作業なんか一切ない。主人公はただ、じゃーこの道いってみようか、というノリで仲間とともに簡単に迷宮を突破してしまう。これじゃメイズ・ランナーというより、ただのランナーである。

三部作の第一部ということで、エンドロール後に二作目の予告が流れた。これがまったく観たくならない。だって、一作目でメイズ(迷路)出てしまいましたからね。そのあとなにをどうしてメイズ・ランナーになるのでしょうか。普通のアクション映画になってしまってますよね。

そもそも、なぜこの映画を観に行こうと思ったのかといえば、2週間前『FOCUS』を鑑賞したときに、すっごくおもしろそうな予告編が流れていたからだった。今回この映画をみてますます持論を正しいと思った。その持論というのが、予告編がおもしろい映画は中身がおもしろくない、というものだ。本編のみで集客の見込めない映画、事前に評判が低くて知名度、注目度のない映画は、呼び水となる予告に力がはいる。その逆に、しぜんと客を呼ぶ映画は金をかけて予告をつくる必要がない。よって力みすぎた予告は本編の貧弱さを意図せず暗示しているというワケだ。

とにかく二作目は見ない、で友人と意見が一致した。あえて三作目だけを見るのはどうか?というトリッキーな鑑賞法も提案されたが、突破されたメイズにもはや魅力はない。ウォーリーに丸がついたのを知ってだれが『ウォーリーを探せ』を買うのか。一作目だけでは謎が明らかにならないままだよ?というメイズファン(がいれば)言わせてもらうが、この映画は謎を残しておいたほうが印象がいいタイプの映画だ。一作目の最後に入る過剰でバカっぽい説明が、観客の想像力を中学二年生の妄想に矮小化してしまうように、へたな謎解きは解かないよりマズいことになると知ろう。それが知れただけでこの映画を観た価値はある。

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