東京みやげ話

 

今回の東京旅行では、高橋ヨシキの『暗黒ディズニー入門』のほかにもう1冊、持っていく本があった。今月ちくま文庫から出た半村良『小説 浅草案内』である。

内容もタイミングもばっちりだ。買う前に目次をみると「昭和○○年新潮社より刊行」と書いてある。それなら中古があるじゃないか。Amazonを調べると、ハードカバーがたったの1円(送料込み251円)である。安さで選べばこっちだが、新刊にはいとうせいこうの解説が載る。いとうせいこうと詩人の金子兜太との対談集『他流試合 俳句入門真剣勝負!』を買ったばかりなので、本については必然の出会いを信じる僕は、この解説のために800円を払ってもいいと思った。

1000円未満のことは1分以内に決める。『20代で知りたいお金のこと』の著者、金融コンサルタントの岡村聡が言う。10円20円の節約に必死になっていると肝腎のところで判断力が鈍り、下手な買い物で大きな損をする。「これが私たち夫妻のルール」というが、夫婦ともに外資系企業で働いていたときに合わせて3000万円の年収があったと書いている。そんな家なら1000円など落ちたケチャップを拭く紙ナプキンのように使えるだろうが、月収8万円のフリーターには500円のやりとりにも通商条約を結ぶような手続きが必要である。1時間悩んで、中古本を買った。しかし僕もバカである。旅行に持っていくために買ったのに、本が届いたのは旅から帰った後だ。配送のことを忘れていたのである。いまさら浅草の本など読む気がしない。あのとき新刊を買っていれば、旅行も、旅行途中に読む小説も、とくべつ味わい深いものになったのではないかと思うと、くやしい。僕が『20代で知っておきたい本のこと』を書くなら、「旅行に持っていく本はケチるな」「古本のニオイをかげ」「友達の家に遊びにいったとき、お父さんの本棚で、人妻が高校球児を誘惑する官能小説を見つけても盗むな。あとで大事件になる」の各章を設ける。

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ディズニーランドではお土産を買わなかった。うっかりクッキーの詰め合わせを買うと、残り2日の旅程をすべて公園の臭い水と固いベンチで埋めねばならぬほど金に余裕がなかった。それにディズニーグッズをもらって喜ぶような人間を友達に持たない。卵アレルギーの男にTENGA EGGをプレゼントして、後日「あそこが腫れたそうじゃないか」とニヤついて訊くような連中ばかりである。バイト先で配るにしても、職場では無口な、不気味の、得体のしれないサイコパス男で通っているので、そんな奴が夢の国のお菓子をばらまいたら、猫の生首を配布するより驚かれてしまう。 

唯一の東京土産が800円の毛抜きだ。家から持参したピンセットをホテルに忘れて、あわてて買い直した。どうして僕みたいな不潔人間――今回の旅行は3泊4日で、毎日とりかえるなら4組のくつ下がいるが、2組しか持って行かなかった。ほんとうは1組を履き通すつもりが、彼女がめざとく「今日くつ下かえた?」と訊いてくるから、仕方なく替えを用意したのだ。一日置きに履くと2組でもバレないと思ったが、浅知恵は通用しなかった。眉をひそめて「ありえない」を連発する彼女に「一日使わなかったらリセットされる。これが洗濯科学のアリエールである」と怒鳴る男に、どうして身づくろいのための毛抜きが必要か。僕がヒゲを剃らないからである。

毎朝のヒゲ剃りが面倒で、なにかいい方法はないかと考えていたときに、抜き続けたら眉毛が生えなくなったという友人の話を思い出して、2年前から抜くようになった。実のところ「毛深い男はモテない」という男性エステの広告をまともに信じて、モテたい一心で始めたのだ。モテなかったが、ヒゲは薄くなった。

抜き始めた頃は、池をティースプーンで汲み尽くすような無謀を感じたが、今では毛抜きを使うために、毛が生えそろうまで4,5日間じっと待っている。生える前から皮膚に埋まった毛をほじくり出すこともできるが、傷になるし、つまんだヒゲの頭がプッツリ切れると、獲物が見えているのに取れず、たいへんもどかしい。待ってから一気に仕留めたい。生えてきた毛をピンセットの先でつまみ、ぎゅっと引っぱると、つまんだ部分の3倍も長い根が、透明のゼリーのような体液のかたまりをくっつけて、ずるずると穴からすべり出てくる。ニキビをしぼって膿を出すような感覚を、顔じゅう数百の毛穴で味わえると思うと、想像するだけで鳥肌が立つだろう。鼻毛を抜くと涙が出るが、鼻のしたの毛を抜くと、今度は鼻水が出る。人体の不思議だ。したがって、よだれを出すには、あごヒゲを抜けばよい。精力増進のために尻の毛を抜く方法は古来から知られている。ただし陰毛は抜いてはならない。へそから腸がとび出すからである。

 

 

 

今週号のパーツ

・春の木漏れ日でいやらしい洋書を読む

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現実と技術の民主国家

 

「週末、彼女とディズニーランドに行ってきた」と疑問符ひとつ心に持たないで話す男にだけはなりたくない。ところが、口と肛門がつながった世界である。食料が肥料となり、肥料が食料になる。シャワー中に垂れ流したおしっこは、ろ過されて、再びシャワーから吹き出してくる。太陽を回る丸い地球、その上で展開される自然の円環。始点は終点である。相手を刺そうと伸ばした剣先が自分の背を貫く。なりたくない、なりたくないと遠ざければ、それだけ知らぬ間に後ろから近づいている。つまり僕は週末、彼女とディズニーランドに行ってきた。


「ぜんぜん行きたくないんでしょ?」
態度は顔に出る。
「高い金払って疲れるだけ。はじめから高級スパにでも行ったほうがまし」
「だったらやめる? イヤイヤ来た感じを出されると、こっちもイヤだから」
そう訊きながらやめるつもりはないのだ。ホテルを予約してチケットまで取ってある。不機嫌になれば、こちらが下手に出ることまで計算ずくなのである。
「せっかくだし行こうよ。イヤがってる人のほうが結局テンション上がって楽しむパターンかもしれないし」
「鎌倉かディズニーで、ディズニーがいいって言ったのはあんただからね。それに今度は前のシーのときみたいに早く帰るつもりないから」

僕は好きでディズニーを選んだわけじゃない。誰だって「ナイフで生きたまま皮を剥がされるか、両脚をつないだ2頭の牛をそれぞれ別方向へ走らせた勢いで股からぱくりと身体を引き裂かれるか。どちらかを選べ」と言われたら、本来は選択じたいを避けたい問題でも「じゃ牛で」と自分の処刑方法を決定できる。牛裂きが好きというより、マシな死にかただと思って選ぶのだ。僕がディズニーと答えたのは、愛らしいキャラクターに会えるからではなく、新幹線に乗る前に、秋葉原ブックオフに寄って帰れると思ったからである。

「早く帰らない」のひとことで出発前から具合が悪くなった。午前8時から午後10時まで、デパートの食料品売場のような息ぐるしい人混みのなか、いつ終わるともしれない列に並び、立ち、待ちつづける。待ったところで温かい豚汁がもらえるでもなし、電気じかけの人形を見たり、箱にのって3分間ぐらぐらと揺られるだけ。2時間待ってパンケーキを食べるのも随分おかしいが、1時間並んで怪物めがけて懐中電灯の光を当てる(モンスターズ・インク)というのは、いったい何事か。それなら乾いたゲロを道からぱりぱりと器用に剥がしてついばむカラスの食事をみるほうが、まだ楽しいアトラクションである。徒労ということばに形を与えるなら、ディズニーランドとそっくり同じものが出来上がるのではないか。ニヤニヤしていると、
「変なこと考えてるのは知ってる。いいから次いくよ」
と急かされる。表情ひとつで思いが伝わるなら、毎回ブログに顔写真を1枚載せて更新の代わりにしたいくらいである。顔面が文面よりまずいから文章を選んだだけのこと。イケメンに生まれたら、多くの女子読者を抱えるファッションブログを運営していたはずだ。現実はいつだって厳しい。

 

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高橋ヨシキの『暗黒ディズニー入門』を持参して、ディズニーランドの門をくぐった。汚い負けかたである。お父さんたちは、嫁と子どものために休日返上でくだらないままごとに付き合ってやっているという嫌気ひとつ顔に出さず、自分を殺して家族のカバン掛けになっている。僕も家庭があれば諦めがつくのかもしれないが、まだ身軽のうちは、ディズニーランドで遊ぶことの違和感、世界になじむことへの抵抗を大切にしたい。反抗とは、もっとも簡単な主体性の確立である。ヤンキーは、校則や法律に顔をそむけ、社会に対して自己を打ち立てる。暴走族のバリバリという音は青春を踏みつぶす音ではない。踏つぶされた彼らがもとに戻る音である。僕はディズニーランドにNOと言うことで自分の立場を明らかにしたい。

ゲーテは「すぐれたものを認めないことこそ野蛮である」と言った。僕は野蛮人か? ちがう。僕だってディズニーランドの素晴らしさを認める。それはアルバイト従業員にまで浸透したホスピタリティ精神、パフォーマンスの質の高さ、場内の徹底した衛生管理などではなく、帰り際、夢と魔法の王国の国事でへとへとに疲れた身体で見上げる退場門、つまり元いた世界の入場門をくぐるとき、実は現実こそが最高のアトラクションだったのだと気付かせてくれる点である。
暗い人波がずるずると出口へ向かう流れのなかで、
「ずっとこれに乗りたかったんだ」と言うと、
「え、もう帰るよ? なに、どういうこと?」
と不思議そうな顔をしていた。僕は話さなかった。まさかディズニーランドのもっとも楽しいスポットが、敷地の外にあったとは言えなかったのである。

 

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トリ博士求む

 

公園のベンチが好きだ。ほかに座る場所がないから好きにならざるを得ない。幼い頃なら、なんでもない建物の囲い、ブロック塀、階段、歩道と車道の段差にも平気で腰を下ろせたが、いまではズボンを汚す、不審者に見られるというので、はじめから座るために作られた場所にしか座れない。

都会に出ると苦労する。座るために400円のコーヒーが要る。買っても座れないことがあるから油断できない。百貨店の休憩スペースでは、おじさんが一人がけのソファに首もとまで埋まり、死んだように眠る。彼らが起きるところを見逃さぬよう、そばの家具屋に入って、デザイナーズチェアを転々とする。鳥の巣を縦にして空中に浮かべたようなイスがある。藤で編んだやさしい楕円を鉄柱から鎖で吊るしているのだ。腰かけようと巣を覗き込んだら、とさか頭の痩せた男が口を開けて、内壁に寄りかかるようにして眠っていた。食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじである。

近くの公園でいつも文庫本を読んでいるホームレスのおじさんがいる。開いたページを顔に張りつけんばかりにして読む。目が悪いのか、紙面の外で展開される現実世界の運動を目にしたくないのか。背もたれに身体を預けず、背すじを張って読むところなど、いち読書好きとして敬意すら覚える。僕の読む姿勢といえば、買ってすぐ乗らなくなったバランスボールの空気を抜いてべこべこにへこませたものをクッション代わりに、でんともたれて足を組み、ジャズを大音量でかけて、そばにはチューハイ。ラウンジでホステスのあらわな肩に手を回すいやらしさで高名な書物に手をかける。著者が偉ければ偉いだけ愉快だ。難しい本は酔っていないと理解できない。アルコールでめろめろの頭で開く本に、

第二章 意識現象が唯一の実在である

なんて文章を読んだらブッ飛んでしまう西田幾多郎善の研究』)。酒と哲学書のちゃんぽんでラリる男とくらべると、木陰でしずかに書物をひもとくおじさんには、その弊衣蓬髪、ちぢれて胸元まで垂れさがるあごひげも手伝って、大学者の気風が漂う。毎日の読書量から推せば、大学教授も顔負けの知識を蓄えているはずだ。それを披露する機会と技能がないだけである。問題はなにを読んでいるかだ。そもそも彼は本を読んでいるのか? 日よけとして利用しているだけかもしれない。じっと観察すると、ページを一向に繰らない。まさかと思って顔をのぞくと、目をつぶって心地よさそうに眠っている。食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじである。

放置自転車にうるさい大阪では、駅前に長時間、撤去の心配なく自転車を停めようと思ったら、月極か時間制の有料駐輪場を使うしかない。そこで重宝するのが、パチンコ屋である。駅から2分の好立地で利用料はタダ。しかし、このタダがくせものなのだ。用事を済ませて自転車を取りに戻るとき、ちょっと打ってみるか、という気になる。来るときにはあれだけ軽快に滑った自転車も、帰りはずっと6段目のギアで走るように重たい。駐輪代に2万かかったのである。

その駐輪場でいつも見る原付バイクがある。十数年前の古い型で、外装のプラスチックは劣化して黒がまっ白に、破れたシートはスポンジがえぐれてカビがわき、右のミラーはあらぬ方向へ曲がり、左は折れて姿がない。エンジンではなく気力で走っているようなバイクである。卒業式の担任のはなしを思い出す。「ミツバチは身体の成り立ちからすると本来は飛べないのだが、実際には飛んでいる。飛べないことを知らないからである。君たちはこれから夢にむかって羽ばたいていくが、『できない』と思わずにチャレンジすることが大切だ」。そのミツバチを思わせるバイクである。走らないことを知らないから走っている。死んだことに気づかず、体は生き続けるということは人間でも起こる。話は変わるが、10年の昏睡から奇跡的に目覚めた男は、のちのインタビューで、周囲の音がすべて聞こえていたと語った。母が耳もとで「お前を殺してやりたい」とささやいたこともすべて。嫌いな奴が倒れても、見舞いでうっかり悪口も言えない。

ハンドル下の収納ポケットに、ぞうきん、軍手、ソーセージを剥いたオレンジのビニール、空きカンでつくった即席灰皿、はだかの文庫本が突っ込んである。濡れたり乾いたりの繰り返しで、ほうきみたいに広がった本だ。感動を覚えるのは、本の地位である。持ち主はきっと開店までの15分、退屈しのぎにこれを読む。用が済んだら軍手と同じ扱いだ。読書で人生を変えるとか何とか息巻いている連中に見せてやりたい光景である。近づいて背表紙をみると、近代の日本文学だった。作家も作品も忘れたが、パチンコ屋の駐輪場ではまずお目にかかれない高級な名前だ。文学的でありたいとのぞむ世間知らずの文学青年、また、いきおくれの文学中年に見せてやりたい光景である。ここではパチンコ屋の待ち時間をつぶす役にしか立たないのだから。小説好きの男は、読む物語ほど自分の人生が劇的でないことに悲しむ。彼が無趣味無教養だと蔑む人々のほうが、じつは立派に主人公らしい生活を送っているものだ。連日ボロで店まで乗りつけ、日がな鉄球の落下を見つめるおじさんは、バイクのポケットに挿さる文学より、よっぽど興味をそそる人物ではないか。

 

 

f:id:gmor:20170409175803j:imageベンチで鳥と相席した。
僕のとなりに座ってくれるのは鳥だけだ。

 

f:id:gmor:20170409175751j:image鳥と呼ぶのも忍びない。名前が知りたいと思って野鳥図鑑を買った。探したが、それらしい鳥が見つからない。載ってないのか、僕の見方が悪いのか。

 

f:id:gmor:20170409175807j:imageわかる人いたら教えてください!